阪和電鉄 昭和初期の面影 その119〜「カムカムエヴリバディ」安子と稔とるいの杉本町を歩く⑥ | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



ただいま放送中、NHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」。

史上初の、3人のヒロインが生きる100年の世代を描く物語ということで話題になっています。



ここでは、初代ヒロイン・橘安子(上白石萌音さん)と、名家の長男で跡継ぎになる雉真稔(松村北斗さん)とが絆を深め、また、その後も幾度も登場する杉川町(住吉区・杉本町がモデル)を中心とする街について、劇中の展開に沿って実際に探索してみようということをしています。


そういったことで、いよいよ「JR阪和線 杉本町駅(大阪市住吉区)」に降り立ちました。


グーグル地図より。
「杉川町」もとい「杉本町」は大阪市の南端、住吉区のさらに南に位置しています。

周辺地図からは、鉄路が密集している繁華なところ、ということがわかりますが、大阪市内、またその近郊の鉄道網の大きな特徴として、南北(上下)に走るものばかりです。東西(左右)のそれというのは見当たりません。


その、市内中心部から南下する路線のひとつ「JR阪和線」の一駅に当たるのが「杉本町駅」です。街外れには、堺市(西区)との境界に「大和川(やまとがわ)」が悠々と流れる、自然が残る土地でもあります。


そして、稔が下宿しつつ通っていたという設定の「大阪商科大学予科(現在は大阪市立大学、4月からは大阪公立大学となる予定)」が、駅のすぐ東側に、広大な敷地で隣接しています。

実は大阪では「杉本町=市大」という認識は幅広くされているように感じられるものです。


それではここからは、恒例の?駅構内探索をしてみたいと思います。



ホームは2面、線路は4本ありますが、各駅停車しか停車しないことと、通過待ちが可能なように、上下線ともに通過列車側には柵が設けられているのが特徴でしょうか。



そしてなんといっても、1929(昭和4)年に阪和電鉄が開業して以来、築100年にも迫ろうかという、レトロな建造物がふんだんに残されていることも、趣味的には魅力のあるものです。







駅の北側、天王寺方にある跨線橋は、まさに昭和レトロそのもの。

木を主にしたこの光景、味わいがあります。





ただし、逆の見方をすれば、幅の狭い階段やホームには、エスカレーターやエレベーターの設置が非常に困難で、やむを得ず昇降機が取り付けられるに至っているという現状のようです。




総合大学の最寄り駅、ということもあり、阪和線の各駅停車しか停まらない駅では、最大の乗降客がある(直近で2万人近い)ことへの設備としては、少々難があるのかも知れません。



それも関係してでしょうか、阪和電鉄時代から国鉄になった昭和40〜50年代あたりまでも、天王寺からこの駅折り返しの列車設定があったのだとのこと。出典①。





そんな中、和歌山方面ホームへアプローチする階段の奥には、真新しい通路が続いています。


後日の項でも取り上げたいのですが、駅の北側にある踏切は、いわゆる「開かずの踏切」。



阪和電鉄以来、改札口は大学と反対側の西側にしかなく、大変な混雑を来たしていたそうですが、近年になり、大学側にもあらたな改札口が設置されるのに合わせて、この通路も新設されたのだとのこと。これは便利ですね。


フィクションとノンフィクションがごちゃまぜになりますが、安子と稔、そして幼かったるいが、この通路を行き来した訳です。

では、反対の天王寺方面ホームにも降りてみます。ここからは、ギャラリー風にどうぞ。




こちらもやはり、幅の狭いホームです。
朝夕などには、混み合うのではと思われます。



ホーム屋根を貫く架線柱には「S4.8」の文字。

そのまさに前月は、阪和電鉄が先行開業した時(阪和天王寺〜和泉府中間、鳳〜阪和浜寺間=現在の東羽衣=)です。





レトロな駅舎、ホームに最新型車両、というのも、なかなかおもしろい光景です。

このように、戦前に私鉄だった時代の面影というものが阪和線にはあちこちに残っています。
余談ですが、このシリーズでは、そういったものを探求するわたしの愉しみにお付き合い頂いています(汗)


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「阪和電鉄 沿線御案内」阪和電気鉄道 昭和11年)