みなさんこんにちは。前回からの続きです。
昨秋、急遽頂いた連休に思い立ち、お四国の香川・高松へ「ことでん(高松琴平電気鉄道)」の沿線を巡った、久しぶりの遠出ひとり旅の様子をお送りしています。
ただいま、高松郊外の「屋島」展望台です。
ここからの、実にすばらしい景色をみなさんとともに拝見している、というところです。

グーグル地図より。北が右側です。
広域にしますとこのあたり、この角度になるのですが、ここからは、瀬戸内海に浮かぶ島々を地図を片手に観察してみようかと思います。

さて、展望台から左は高松市街地と讃岐平野。右は、高松港から広がる瀬戸内海です。
そんな中、港からほどないところに、まずは二つの島影を発見しました。
左から「女木島(めぎしま)」、「男木島(おぎしま)」。その名前から合わせて「雌雄島(しゆうじま)」とも呼ばれる、高松港からのフェリーでしか行けない、自然豊かな島です。
では、この2つの島については…
手元の愛読書「各駅停車全国歴史散歩38 香川県(四国新聞社編・河出書房新社刊 昭和54年5月初版)」から、拾ってみます。

女木島は鬼ヶ島
小さな渡海船で高松港から20分のところにある女木島。そのすぐとなりが男木島である。
両方の島を合わせてかつては「雌雄島村」という一村をなしていたが、いまは高松市に編入された。
桃太郎伝説の島とされる女木島は別名「鬼ヶ島」ともいう。島の東寄りに鷲ヶ峰(188メートル)があり、その山頂近くに深い洞くつがある。これが桃太郎に敗れた鬼の住み家だったといわれるもの。
ほの暗い洞くつの入り口はムード漂う。ガイドの案内で枝分かれした迷路を奥へと進む。
ほどなく“鬼番人の控室“というのがあり、やがて中央広間につく。そこには巨大な石の大黒柱がそそり立ち、ため井戸の跡ではポトリ、ポトリと落ちる水滴を集めた水を“鬼の力水“と教えてくれた。また、宝物蔵や監禁室という所もあって、現代人に夢や幻想をかきたてるだけの神秘性をもっているといえよう。
これほど美しい鬼も居るのかと驚くのですが、対岸の岡山側とともに、こちら讃岐香川の瀬戸内海沿岸にも、鬼とともに桃太郎にまつわる伝承はあまたあるようです。
古来から瀬戸内海で拓けた土地柄ゆえですが、令和の現在まで伝承されている、と見方を変えると、共存して来たものなのかも知れません。
続きます。
東浦、西浦に港があり600余人が住む。
ほとんどが半農半漁だが、高松への通勤ら通学も目立つ。東浦の松林一帯は海水浴場やキャンプ場である。民宿も10軒ほどうまれ、年とともに観光地化への道を歩む。
市街地から目と鼻の先の、自然豊かな島。
これならば、気軽に足を運べそうですね。
これは一度、行って見たいところです。

さて、相棒は「男木島」でした。
借耕牛で名高い男木島
オニギリを海に浮かべたような形の男木島だから、水田はあろうはずはなく、周囲4キロ足らずの斜面にしがみつくようにして200軒ほどの民家が重なる。それも段々になって“ハチの巣“のような集合形態を見せる。
かつて、この島は「借耕牛(かりこうし)」で有名だった。
それは農繁期に、かねて契約してある讃岐の農家に牛を出かせぎにゆかせ、その賃代わりに米をもらう方法が昔からつづいていた。
だが、近ごろはトラクターや耕耘機が農家に普及して年々借り手が減り、借耕牛はすたれた。
(P208-209)
こちらは「女木島」からひと回り小さい島ゆえ
耕作面積が限られていた、険しい環境であったことが窺えます。
いわば「牛の出稼ぎ」とは、米どころとの需要供給がマッチして、なかなかのアイデアだったに違いありませんね。出稼ぎは讃岐のみならず阿波(徳島県)にも遠征していたとのこと。
ところで、その「女木島」の奥、きれいなお椀形の小島があるのを発見したのですが…
先ほどの「雌雄島」からしばらく先には「瀬戸大橋」まで、際立ってこれ以外に孤立した島は見当たりません。
ということは、地図に従うと「大槌島(おおつちじま)」という離れ小島です。
そうでした!行きの「快速マリンライナー」で橋の上から眺めて、たいそう気になっていた、あの「大槌島」です。
行きの「快速マリンライナー」車中より、「与島(よしま)」上空を通過中。
いやはや、完全に忘れていました(汗)
今度は、島を東側から眺めていることになるのですが、こうしてもやはり美しい島影です。

しかし、景色の迫力もさることながら、地形の変容、島それぞれにある歴史や風俗ということを加えて知ると、あらたな見方が出来るもんやなあと、感心してしまいます。
ともかく、よい経験が出来ました。
いつものことですが、地図というものは本当に正確なもんやねんなあ、と思います(笑)
次回に続きます。
今日はこんなところです。