みなさんこんにちは。前回からの続きです。
先月はじめ、急遽頂いた連休に思い立ち、お四国の香川・高松へ「ことでん(高松琴平電気鉄道)」の沿線を巡った、久しぶりの遠出ひとり旅の様子をお送りしています。
昭和初期に建設された、洋館を思わせる瀟洒な駅舎。文化財としても貴重なものを、あれこれと観察しています。

ここからは、バスで名勝・屋島へ向かうことにしているのですが、待ち時間がありますので、これ幸いにと、ちょうどやって来た瓦町ゆきの電車を、さらに観察してみたいと思います。

遮断器が開いている構内踏切から、安全を確認し、十分留意しながら撮影しています。
元・名古屋の地下鉄車両が、遠くお四国の香川でばりばり現役、というだけでも趣味的にはたまらないものですが、名古屋時代の気になる名残は、さらにその足元にもありました。

横に、長い桟が入った台車。これはあまり見かけない形状ですが、製造元は住友金属工業。
名古屋時代の台車がこちら。
車輪間に、上部が少し盛り上がった機具が取り付けられていますが、差異はそれだけ。台車の型番はまったく同じです。
この、名古屋時代の台車をさらに観察してみますと…中央部分から、なにやら細い板が外側に向かって、突出しています。
ことでんに移籍したこの車両では、そこにあった板の姿はありません。
都合、不要なために撤去されているのですが…
これは「コレクターシュー(集電靴)」と呼ばれる装置です。名古屋時代は、電車が走る線路の横にはさらに別のレールがあり、それに接するようにこれが取り付けられていました。
つまりは、別のレールに流れている電気を、コレクターシューを介して集電し、電車を動かす動力にしていました。
「第三軌条方式」と呼ばれる集電方式です。
通常、電車の屋根には「パンタグラフ」という折りたたみ式の装置が取り付けられています。
上部に張られている架線(↑)からこれを介し電気を採り入れて、電車の動力としている(これを「架空電車線方式」という)のですが、地下鉄車両の場合は先の「第三軌条方式」を、集電の方式にしていることが多く見られます。

そのパンタグラフと架線の分、天井が高く設えられていることがわかります。ということは、そのスペースをも掘削しないといけないので、工事費は必然的に高くなってしまいます。
名古屋を例に挙げましたが、そのあたりは大阪や東京などのそれでも事情は同様です。
総じて「郊外電車との相互乗り入れの利便性」を取るか「建設費を少しでも圧縮させるか」を取るかという、事業者の判断の分かれ目のところでしょうか。ここまで、出典①。
ご参考までに、このことについて取り上げました過去記事はこちら↑
いやしかし…第三軌条方式の車両(=地下鉄の車両)がパンタグラフ集電になったということもさることながら、特殊な装備なはずの、コレクターシューを取り付けていた台車を、小改造はすれどそのまま使用している、いや、そもそも使用出来るようなものやったんか!ということに大変驚きます。
この場合ですと、台車だけは、他のものと取り替えされるケースが多いですので、趣味的には大変貴重なものを拝見することが出来ました。
もう、それだけでおなかいっぱいです(笑)

では、いよいよ念願の屋島に向かいます。
次回に続きます。
(出典①「カラーブックス日本の私鉄20 名古屋市営地下鉄」大須賀廣郷・田川輝紀・小川金治共著 保育社刊 昭和57年11月発行)
というところで、今年の記事はおしまいです。
この一年を振り返りますと、仕事をはじめ、生活のさまざまな場面で、やはりコロナに振り回された感が、大変強いものでした。
おかげさまでわたしはなんとか無事ではありましたが、来年こそは終息に向かうように、そして穏やかな年になるように、祈るばかりです。

ただこのようにして、遠出の旅を再開することが出来るようになりつつあるのは、本当にうれしい限りです。
旅することは、やはりわたしのエネルギーだと改めて感じます。先取りして屋島山上から。
今年も、たくさんの方々にブログへご訪問、メッセージなどを頂けたこと、深く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
今年はこんなところです。