みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「和歌山駅」「和歌山市駅」が玄関口の役割を果たす、現在の和歌山市内中心部の鉄道網。
その歴史を掘り下げますと、さらに「紀和駅(きわえき)」や「中ノ島駅(なかのしまえき)」という駅もそれに関わるなど、深く複雑な経緯がありました。

その中のひとつ「中ノ島駅」こと「JR阪和線 紀伊中ノ島駅」で下車。
現在は「阪和線」のみが高架線に発着しているこの駅。ただ、1972(昭和47)年10月までは、
それに直交する形で「和歌山線」も地上に駅を設けていました。


駅の廃止のみならず、この区間の路線自体もルート変更によって放棄され、以来半世紀ほど。
しかしこのように、往年を偲ばせる痕跡があちこちに遺されています。
日中に使用する際には、ベットを収納し、向かい合わせのクロスシート仕様に。
実にハイスペックなもので、以降、日中・夜間問わず、特急運用が出来る貴重な戦力として、東北から九州にかけての広い範囲で活躍をはじめた、という号です。余談でした。
「名古屋〜王寺」までは「関西本線」を経由。
王寺には8:38に到着し、1両だけが切り離しをされ、くだんの客車普通列車に併結の上で「和歌山線」へ10分後に発車。
列車本体は、大阪・ミナミの西外れ「湊町駅(みなとまちえき、現在のJR難波駅。大阪市浪速区)」へと「関西本線」を走破しています。
これを、さらに始発駅へと遡りますと…
前日の22:35、東京駅を発車する「急行大和」・「急行能登」という列車がそうでした。
途中の名古屋までは、金沢へ向かう「能登」と併結運転。
その後は「関西本線」を経由、奈良・大阪へ向かう「大和」となるのですが、そのうちの寝台車1両だけが「和歌山市ゆき」という、なんとも珍しい多層建て列車だったことがわかりました。
「東京ゆき」はその逆。
「和歌山市17:11発→紀伊中ノ島17:20発→王寺19:56着」…と来て、大阪・湊町からの「急行大和」に連結。
名古屋で、金沢から北陸本線・東海道本線を経由して来た「急行能登」とさらに併結。
東京駅には、翌朝の6時ちょうどに到着する、というものでした。 長い、長い旅です。

巻末から。この列車、東京〜名古屋間は14両編成という、長大な列車だったようです。
新幹線が開業して数年、鉄道輸送がまさに全盛期を迎えていた頃の、華々しい姿です。
名古屋で切り離しされる「大和」編成は6両。
そのうちの1両が、長駆、和歌山までやって来ていたということになるのですが、王寺からは普通列車に併結されるとは、寝台普通列車ということになりましょうか。果たして、どのような車中だったのか、大変気になります。
さらに現在は、全線を走破する優等列車がまったく存在しない「関西本線」も、メインルートの「東海道本線」を補佐する、重要な役割を果たしていました。

かつてはここから毎日、東京へと直通する列車が発着していた事実というのは、実に感慨深い歴史です。
時代と、その当時に繰り広げられた史実というのは、少し探ってみるだけでも、さまざまなことが潜んでいるものだとも、さらに感慨に耽ってしまいます。
次回に続きます。
今日はこんなところです。