阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その103「和歌山駅周辺の鉄道網変遷を辿る」Vol.16 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「和歌山駅」「和歌山市駅」が玄関口としての役割を果たす、市内中心部の交通拠点。



その歴史を掘り下げますと、さらに「紀和駅(きわえき)」「中ノ島駅(なかのしまえき)」という駅もそれに関わるなど、深く複雑な経緯がありました。

本題の「阪和電気鉄道」こと現在の「JR阪和線」のそれを中心に、現在までのそれら変遷を実際に辿ってみようということをしています。




さて、ここまで「和歌山市駅」「紀和駅(初代和歌山駅)」と訪問して来ました。




そして、やって来たのは「和歌山駅」
JRが3線と「和歌山電鐵貴志川線」が乗り入れ、バス路線も多数が発着している駅です。



百貨店やホテルなど、商業施設も多数集積していることから、現在のところ「和歌山の玄関口」としての役割を果たしているのは、こちらの駅と言えそうです。


ところでここまでは、先ほど触れたように、和歌山市内中心部の玄関口を務めて来た各駅を巡って来た訳ですが、交通拠点の役割を果たしていたことから、この項を進める上で外せない、重要な存在の駅がいまひとつありました。出典①。


それが、こちら「和歌山駅」の隣駅に当たる「紀伊中ノ島駅(きいなかのしまえき)」



ここを起点に、大阪・天王寺へ向かう「阪和線」の駅で、本題の「阪和電気鉄道」が和歌山まで延伸させた2年後、1932(昭和7)年1月に「阪和中ノ島駅」として開業させたものでした。駅前の案内板より(北が右です)。

それでは、次はその「紀伊中ノ島駅」へ向かうことにしたいと思います。


「阪和線」のホームでは「紀州路快速」が発車待ちをしていました。これに乗り込みます。

途中の「日根野駅(ひねのえき、大阪府泉佐野市)」で「関空快速」を併結、天王寺から「大阪環状線」へ直通運転する、便利な列車です。
「快速」ではあるものの、途中の「熊取駅(くまとりえき、同泉南郡熊取町)」までは各駅停車です。


では、ここからは…
またも、先頭車両から「紀伊中ノ島駅」への配線の様子を観察してみようと思います。


グーグル地図を携えながら、見て参ります。


①複雑に入り組んだポイントを渡り、構内を抜ける。引き込み線にもつながるそれです。


右側(東方向)線路は先ほどまで乗車して来た「紀勢本線(和歌山市ゆき)」。
そこからさらに右側へ「和歌山線」が分岐。


緩く左にカーブを取りながら、これら2線が離れて行きます。


②今度は、右にカーブを取りながら高架線へ。
「大門川(だいもんがわ)」を渡る。


③さらに「紀勢本線(和歌山市ゆき)」線路をまたぐ。踏切の遮断棒がちらっと見えているのがわかりました。


「紀勢本線(和歌山市〜和歌山間)」の車内からでは、ちょうとこのあたりがそうです。

鉄道路線が交差する場合、原則的には、後から敷設された方が、前からある方の上を跨ぐのでこちらの「阪和線(阪和電気鉄道)」が後発だとわかります。


右カーブのまま進みますと、列車は早くも減速しはじめました。元私鉄ですので、駅間の距離は短く取られているようです。


④高架線から、駅到着直前の左側(西方向)を望む。このアングルからそのまま直進すると「紀和駅(きわえき、初代和歌山駅)」に当たるのですが、ガード真下の地上には、なにやらホームのような跡が…これは気になります。



「和歌山駅」からはわずか2分で「紀伊中ノ島駅」に到着。降り立ったのはわたしだけで、閑散とした雰囲気です。


ホームも、よくある旧国鉄によるがっしりした感はありませんで、ホームを支える細い鉄骨支柱などを見るに「私鉄の古い駅」という印象です。やはり「阪和線」は元私鉄だったのだ、という史実を、そういったところから感じます。

それに加えて、そこはかとなく簡素な印象ですが、ホームは実に長いものでした。
8両編成が停まれそうなほどですが、これもまた、かつてこの駅が、和歌山市内中心部の重要な交通拠点であったことの証左だといいます。


それでは、この「紀伊中ノ島駅」をあれこれと探索してみたいと思います。


(出典①「阪和電鉄 沿線御案内」阪和電気鉄道発行 昭和11年)


次回に続きます。

今日はこんなところです。