阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その102「和歌山駅周辺の鉄道網変遷を辿る」Vol.15 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


「和歌山駅」「和歌山市駅」が玄関口としての役割を果たす、市内中心部の交通拠点。

その歴史を掘り下げますと、さらに「紀和駅」「中ノ島駅」という駅もそれに関わるなど、深く複雑な経緯がありました。



本題の「阪和電気鉄道」こと現在の「JR阪和線」のそれを中心に、現在までの変遷を実際に辿ってみようということをしています。

ここまで「和歌山市駅」「紀和駅(初代和歌山駅)」と訪問して来ました。


だいぶと、寄り道をしたような感がありますが(笑)ようやく「和歌山駅」に到着しました。
先ほど挙げた4つの駅のうち、現在、最も繁栄している和歌山の玄関口です。


グーグル地図より。構内は広く、引き込み線が幾本も設けられています。


JRは「阪和線」「紀勢本線」と「和歌山線」、
私鉄の「和歌山電鐵貴志川線」の4線が乗り入れる、交通拠点の役割を果たす駅です。



さて、降り立った反対側の7番のりばには「和歌山線」の列車が発車待ちをしていました。


「JR西日本」ホームページより。

「和歌山線(ラインカラーピンク、路線T)」はこの駅を起点に、まずは県北部を紀の川沿いに東へ、山深くなったところで奈良県に入り、五條・高田を経て「王寺駅(奈良県葛城郡王寺町)」へと至る、全長87.5kmの路線です。
昭和50年代後半までは、紀勢本線からこの線を経由し、京都・奈良方面へと向かう急行列車が運行されていたこともありました。

現在は地域輸送に徹した役目を果たしていますが、和歌山へ最初に乗り入れた鉄道路線は「阪和線」「紀勢本線」「南海電車」でもなく、まさにこの「和歌山線」でした。


ところで、この「和歌山線」と「紀勢本線(和歌山〜和歌山市間)」が発着するホームには…


中間改札がありました。
「阪和線」や「紀勢本線(御坊・紀伊田辺・白浜・串本・新宮方面)」に乗り換えるのには、ここを通過しなければならない構造になっています。おそらくは無人駅が存在したり、交通系ICカードの利用が出来ない駅があるからではないかと思われるのですが、同じJR線に乗り換えるのに、珍しいものだと感じます。

それでは「和歌山市駅」「紀和駅(初代和歌山駅)」、そしてこの「和歌山駅」を巡って来たところで、あらためて、和歌山市内中心部のターミナルの変遷を振り返ることにします。

出典は毎度おなじみ「フリー百科事典wikipedia #和歌山駅」より。一部加筆修正しています。


…最初にできた和歌山市の玄関駅は、1898年に船戸仮駅との間を開業させた紀和鉄道が建設した和歌山駅(現在の紀和駅)である。

しかしそのわずか5年後の1903年には紀ノ川駅から伸びてきた南海鉄道(現在の南海本線)が和歌山市駅を開業させる。和歌山市駅の方が大阪への便がよかったということもあり、こちらが新しい和歌山の玄関となった。 


現在の和歌山駅は、1924年2月、国鉄紀勢西線(現在のJR紀勢本線)の最初の開通区間として、初代和歌山駅(現在の紀和駅)から当駅を経て箕島駅までが開通したのと同時に東和歌山駅(ひがしわかやまえき)として開業した。

この時、山東軽便鉄道(現在の和歌山電鐵貴志川線)も従来の路線のうち秋月駅(現在の日前宮駅)から中ノ島駅までを廃止し、また秋月駅から当駅まで路線を延ばしてこの駅に乗り入れたので、この駅は開業当初から2路線の接続駅であった。


1930年6月には、阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)が和泉府中駅から阪和東和歌山駅(はんわひがしわかやまえき、東和歌山駅と同位置)までを開業させ、この駅は新しいターミナル駅としての性格を帯びていくようになる。



阪和電気鉄道は1940年に南海鉄道に吸収合併されて同社の山手線(やまのてせん)となったので、阪和東和歌山駅は南海東和歌山駅(なんかいひがしわかやまえき)と改称された。

この駅が国鉄のターミナル駅として重要性を高めたのは1944年であった。
この年5月、南海鉄道山手線は国有化により国鉄阪和線となったため、南海東和歌山駅は国鉄の東和歌山駅に統合されたのである。


このことによって大阪から和歌山市までが国鉄のみでつながることとなったため、和歌山市駅が南海本線のターミナルであるのに対して、この駅を国鉄のターミナルと呼ぶことができるほどにもなった。 


1959年には、三木里駅 - 新鹿駅間の開通をもって和歌山駅(現在の紀和駅)から当駅を経て亀山駅までが全通したため、この区間が紀勢本線となった。

また、和歌山鉄道(1931年に山東軽便鉄道から社名変更)は数度の合併を経て、1961年には南海電気鉄道の貴志川線となった(さらに、2006年には岡山を本拠とする両備グループ・岡山電気軌道の傘下に入り、和歌山電鐵となる)。


そして、1898年以来和歌山駅(初代)を名乗っていた現在の紀和駅が1968年2月1日に現名へ改称される。
さらに東和歌山駅についても同時変更による混乱を避けた1か月後の3月1日に現在の名称たる和歌山駅(わかやまえき)に改称となる。


これによって名実ともに和歌山市の玄関駅となったのである。(後略)


駅前には「和歌山バス」がひっきりなしに出入りする他、駅ビルには「和歌山MIO」、その隣に「近鉄百貨店和歌山店」などが入居。



「阪和線」を経由すると、特急では大阪・天王寺までは40分少々。新大阪へも直通しており、新幹線との接続も良好。
また「紀州路快速」も終日「大阪環状線」に直通運転していることもあり「和歌山の玄関口」というと、やはりこちらをイメージします。



広域なネットワークを誇るJRならでは…という印象を受ける、繁華な「和歌山駅」です。

では、和歌山市内ターミナルを辿る乗り鉄、最後は「紀伊中ノ島駅」へ向かいます。


次回に続きます。

今日はこんなところです。