みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「和歌山駅」と「和歌山市駅」が玄関口としての役割を果たす、市内中心部の交通拠点。
その歴史を掘り下げますと、さらに「紀和駅」や「中ノ島駅」という駅もそれに関わるなど、深く複雑な経緯がありました。
本題の「阪和電気鉄道」こと現在の「JR阪和線」のそれを中心に、現在までの変遷を実際に辿ってみようということをしています。
ここまで「和歌山市駅」「紀和駅(初代和歌山駅)」と訪問して来ました。

だいぶと、寄り道をしたような感がありますが(笑)ようやく「和歌山駅」に到着しました。
先ほど挙げた4つの駅のうち、現在、最も繁栄している和歌山の玄関口です。
グーグル地図より。構内は広く、引き込み線が幾本も設けられています。

JRは「阪和線」「紀勢本線」と「和歌山線」、
私鉄の「和歌山電鐵貴志川線」の4線が乗り入れる、交通拠点の役割を果たす駅です。
さて、降り立った反対側の7番のりばには「和歌山線」の列車が発車待ちをしていました。
「JR西日本」ホームページより。
「和歌山線(ラインカラーピンク、路線T)」はこの駅を起点に、まずは県北部を紀の川沿いに東へ、山深くなったところで奈良県に入り、五條・高田を経て「王寺駅(奈良県葛城郡王寺町)」へと至る、全長87.5kmの路線です。
昭和50年代後半までは、紀勢本線からこの線を経由し、京都・奈良方面へと向かう急行列車が運行されていたこともありました。
現在は地域輸送に徹した役目を果たしていますが、和歌山へ最初に乗り入れた鉄道路線は「阪和線」「紀勢本線」「南海電車」でもなく、まさにこの「和歌山線」でした。

ところで、この「和歌山線」と「紀勢本線(和歌山〜和歌山市間)」が発着するホームには…

中間改札がありました。
「阪和線」や「紀勢本線(御坊・紀伊田辺・白浜・串本・新宮方面)」に乗り換えるのには、ここを通過しなければならない構造になっています。おそらくは無人駅が存在したり、交通系ICカードの利用が出来ない駅があるからではないかと思われるのですが、同じJR線に乗り換えるのに、珍しいものだと感じます。
それでは「和歌山市駅」「紀和駅(初代和歌山駅)」、そしてこの「和歌山駅」を巡って来たところで、あらためて、和歌山市内中心部のターミナルの変遷を振り返ることにします。
出典は毎度おなじみ「フリー百科事典wikipedia #和歌山駅」より。一部加筆修正しています。
…最初にできた和歌山市の玄関駅は、1898年に船戸仮駅との間を開業させた紀和鉄道が建設した和歌山駅(現在の紀和駅)である。
しかしそのわずか5年後の1903年には紀ノ川駅から伸びてきた南海鉄道(現在の南海本線)が和歌山市駅を開業させる。和歌山市駅の方が大阪への便がよかったということもあり、こちらが新しい和歌山の玄関となった。

現在の和歌山駅は、1924年2月、国鉄紀勢西線(現在のJR紀勢本線)の最初の開通区間として、初代和歌山駅(現在の紀和駅)から当駅を経て箕島駅までが開通したのと同時に東和歌山駅(ひがしわかやまえき)として開業した。
この時、山東軽便鉄道(現在の和歌山電鐵貴志川線)も従来の路線のうち秋月駅(現在の日前宮駅)から中ノ島駅までを廃止し、また秋月駅から当駅まで路線を延ばしてこの駅に乗り入れたので、この駅は開業当初から2路線の接続駅であった。

1930年6月には、阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)が和泉府中駅から阪和東和歌山駅(はんわひがしわかやまえき、東和歌山駅と同位置)までを開業させ、この駅は新しいターミナル駅としての性格を帯びていくようになる。


阪和電気鉄道は1940年に南海鉄道に吸収合併されて同社の山手線(やまのてせん)となったので、阪和東和歌山駅は南海東和歌山駅(なんかいひがしわかやまえき)と改称された。
この駅が国鉄のターミナル駅として重要性を高めたのは1944年であった。
この年5月、南海鉄道山手線は国有化により国鉄阪和線となったため、南海東和歌山駅は国鉄の東和歌山駅に統合されたのである。

駅前には「和歌山バス」がひっきりなしに出入りする他、駅ビルには「和歌山MIO」、その隣に「近鉄百貨店和歌山店」などが入居。
「阪和線」を経由すると、特急では大阪・天王寺までは40分少々。新大阪へも直通しており、新幹線との接続も良好。
また「紀州路快速」も終日「大阪環状線」に直通運転していることもあり「和歌山の玄関口」というと、やはりこちらをイメージします。
広域なネットワークを誇るJRならでは…という印象を受ける、繁華な「和歌山駅」です。
では、和歌山市内ターミナルを辿る乗り鉄、最後は「紀伊中ノ島駅」へ向かいます。
次回に続きます。
今日はこんなところです。