阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その101「和歌山駅周辺の鉄道網変遷を辿る」Vol.14 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「和歌山駅」「和歌山市駅」が玄関口としての役割を果たす、市内中心部の交通拠点。

その歴史を掘り下げますと、さらに「紀和駅」「中ノ島駅」という駅もそれに関わるなど、深く複雑な経緯があります。


本題の「阪和電気鉄道」こと現在の「JR阪和線」のそれを中心に、現在までの変遷を実際に辿ってみようということをしています。



「和歌山駅」へ向かう列車に乗車しています。


グーグル地図より。
かつて、栄華を誇った「紀和駅(きわえき)」を出発。2両編成のワンマン列車が「和歌山市駅〜和歌山駅」の間を行き来するのみという、いささか寂しい現在の姿です。


地図を逆さまより(南が上に)。
それでは、ここからは地図を傍らにして「和歌山駅」へ、複雑な配線で入構する様子を見てみます。


①カーブを描きながら、高架線から地平へ。


幅の狭い踏切を渡ったところで「阪和線」の高架をくぐる。


②「阪和線」と右側(西方向)に並走するところで短い鉄橋を渡る。
まだカーブ区間が終わらないところ、進行方向を真東から真南に替えている現れです。


③ようやく、直線区間に入ります。左側(東方向)から寄り添うのは「和歌山線」。

隣の「田井ノ瀬駅(たいのせえき)」からやって来る「和歌山線」ですが、この区間は、1961(昭和36)年に開通したという貨物線を転用しています。


開業時は「初代和歌山駅(現在の紀和駅)〜中ノ島駅」を経由していたものの、「阪和線」や「紀勢本線」が発着する「東和歌山駅(現在の和歌山駅)」との接続の重要性が増したことや利便性の向上も見越し、この貨物線を活用し「和歌山線の田井ノ瀬駅〜東和歌山駅乗り入れ」が開始された、という経緯がありました。出典①。



複数路線が集う「和歌山駅」への乗り入れはやはり便利で、それにともない「和歌山線」の「初代和歌山駅(現在の紀和駅)・和歌山市駅乗り入れ」は以降減少して行きます。出典同。


1972(昭和47)年、ついに「和歌山線」の全列車が「和歌山駅乗り入れ」に変更。
それにより「田井ノ瀬駅〜紀伊中ノ島駅〜紀和駅」ルートは1974(昭和49)年に廃止、現在の路線網が構築されました。出典②。


列車は先へ進みます。
④左から「和歌山線」「阪和線」にはさまれる形になったところで、遠方に「和歌山駅」が見えて来ました。

 
ここで「和歌山線」が合流。
「和歌山市~和歌山間」の列車とは、同一ホームを使用しているゆえです。



「阪和線」と「紀勢本線」は、右隣のホームに発着する配線になっています。レールはもちろんつながっていますが、定期の直通列車はありません。


左側にまた別のホームと丸い特徴的な躯体の、地下通路へ向かう階段が見えて来ました。
この駅には「和歌山電鐵貴志川線(きしがわせん)」も発着しています。


のんびりとしたいちローカル線から、ねこの駅長こと、かの「たま駅長」を大々的にPRし、一躍人気路線となった「貴志川線」です。


車体ラッピングのみならず、大幅に内装を改造した列車も複数本、毎日運行されるなど、個人的には大変気になる路線です。

あらためて乗りに行きたいですが…
和歌山、伊太祈曽(いだきそ)にて、2010年8月撮影。


さて、ようやく「和歌山駅」8番線に到着。
JRでは、いちばん東側に当たるホームです。



列車は、来た道を「和歌山市駅」へ折り返して行きます。所要時間わずか5分、合計3駅の短いながら、歴史が凝縮された区間でした。


(出典①「国鉄監修 交通公社の時刻表」1970年2月号)

(出典②「JTB時刻表」2021年3月号)


次回に続きます。

今日はこんなところです。