阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その100「和歌山駅周辺の鉄道網変遷を辿る」Vol.13 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


「和歌山駅」「和歌山市駅」が玄関口としての役割を果たす、市内中心部の交通拠点。

その歴史を掘り下げますと、さらに「紀和駅」「中ノ島駅」という駅もそれに関わるなど、深く複雑な経緯があります。


本題の「阪和電気鉄道」こと現在の「JR阪和線」のそれを中心に、現在までの変遷を実際に辿ってみようということをしています。



「初代和歌山駅」として開業した「紀和駅(きわえき)」。

ただし、ターミナルとして稼働した期間は非常に短期間で、その座は「和歌山市駅」と「和歌山駅」に取って替わられた…というところまで、前回は述べて参りました。


この駅について、さらに掘り下げてみたいと思います。引き続き出典は、前回に続いて「フリー百科事典wikipedia #紀和駅」より。



和歌山城下北東の外れに位置し、現在でこそ紀勢本線の一中間駅になっているが、開業当初は和歌山市の玄関口であり、最盛期には構内に和歌山機関庫をおき、東客車留置線の先端は阪和線築堤直下(紀伊中ノ島駅プラットホーム前、現JR社宅用地)に達する広大な用地を持っていた。



グーグル地図より。

Wikipediaの解説から拾ってみますと、全盛期だった頃の「紀和駅」と、付帯していた機関庫や引き込み線の範囲というのは、このような感じだったのでしょうか。

かなり、広範囲なものだったのですね。



ところで「東客車留置線の先端は阪和線築堤直下(紀伊中ノ島駅プラットホーム前、現JR社宅用地)に達する」というくだりがありますが、その留置線に沿うような形で「紀和駅」からは東方向へと「和歌山線」が延びていました。


そして、本題の「阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)」と直交する地点に当たる「中ノ島駅(現在のJR紀伊中ノ島駅)」で接続していました。



当時の案内地図より。出典①。
「初代和歌山駅」の「紀和駅」から右側(東方向)へ「和歌山線」は進み、「阪和電気鉄道」との接続駅「中ノ島駅」に到達するのですが…


現在の路線図より。出典②。

「紀和駅」から「紀伊中ノ島駅」への線路はなくなり、「和歌山線」はその替わりに「和歌山駅」へ乗り入れています。



実はこの「中ノ島駅」はここまで取り上げた「和歌山市駅」「紀和駅」、この列車が向かう「和歌山駅」に並ぶ、和歌山市内の交通拠点だったという経緯があります。


大阪・和歌山間を、当時は比類ない超高速運転で結んでいた「阪和電気鉄道」が、この駅で「和歌山線」との連絡を図るため、特急や急行列車の一部を停車させていた、ということにそれが窺えます。出典①。



さて、「紀和駅」を出発しました。
単線の高架線が続きます。


しばらくしますと、列車は右にカーブ。
奥に「阪和線」の高架が見えます()。

「紀和駅」が開業した明治当時から、昭和40年代半ば過ぎまでは、先ほど触れたように、ここから「和歌山線」は「東和歌山駅(現在の和歌山駅)」には入らず東方向、阪和が発着する「中ノ島駅」へ直進するルート()を採っていました。



両線が接続していた「紀伊中ノ島駅」高架線から、その「紀和駅」方向を望む。

当時のルートを辿るに当たり、のアパートを勝手に目印にさせて頂いたのですが、配線としてはこのような位置関係になります。
地上に「和歌山線」、高架に「阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)」というものでした。


そういったことで、新鋭「阪和電気鉄道」の開業により「鉄道省和歌山線」との接続駅となった「紀伊中ノ島駅」。


いまは、ひっそりとした佇まいの小駅です。
実はこちらには、大変に興味深い遺構がいまなお存在しているのですが…

この後訪問しましたので、そのあたりはまた後日項で取り上げたいと思います。



それでは「紀和駅」についてはさらに、旅する時のわたしの愛読書、

「各駅停車全国歴史散歩31和歌山県」梅田恵以子・高坂次郎・古川成美著 河出書房新社刊 昭和55年4月初版 絶版 P62-63

から拾ってみます。


紀州路の表玄関 紀和・和歌山市


政治文化交通の中心地

 和歌山駅が民衆駅(注釈:国鉄と地方自治体が駅舎を共同で建設し、商業施設を併設した駅。国鉄初としては昭和25年の豊橋駅)として発足したのは昭和43年。

現在一日の乗降客は48,000〜50,000人。

大阪からは阪和線が乗り入れ、南海線和歌山市駅へも紀勢本線で南紀州をめぐり三重から名古屋へ、和歌山線で奈良県へ通じる昭和43年までは、この駅を東和歌山と呼び、汽車の発着はすべて現在紀和駅と呼ばれている旧和歌山駅でなされていた。


紀和駅には今も明治4年鉄道院(→鉄道省線→国鉄→JR)時代に架けられた古い陸橋が残されている。はかり知れないほどの人の足あとを感じるこの陸橋には、汽車がなくなって数年たつが、煙のなつかしい匂いがしみている。



今はほとんど人の気配がない駅前どおり。

「昔はのう、汽車が着くとぞろぞろ人が歩くんで、時計がわりになったもんでの、紀勢線の乗り替えも(和歌山線の)高野(こうや)・王寺(おうじ、奈良県葛城郡王寺町)方面へもみんなこの駅が起点でおりましたよし。貨物駅もあったんで、今のようにトラック運送やないじぶんで荷物はここに着く。そやから町の70パーセントが運送業で、馬力屋と言うて、盛んなものやった。旅館もめしやもよう繁盛しての、和歌山じゃ一番活気あったんと違いますかいの」(中略)


バスの発着もなくなった。

「ほんまにタクシーなんてめったに来んですよ。和歌山駅という駅名を東和歌山に譲って紀和駅にしてから、ぐっと落ちこみですわ」


駅の売店も店を閉じた。名所板もない。

一日数回ディーゼルカーがこの駅を発着する。

和歌山駅、紀和駅、和歌山市駅ただそれだけの距離である…



ところで、この駅の所在地は「和歌山県和歌山市中ノ島」。もっといえば、周辺には「紀和」という地名はありません



実は、この「紀和」という駅名になった由来というのもはっきりしていないそうですが、おそらくは「紀州和歌山」から採ったのでは…という話しも耳にしました。出典③。


歴史といわくのある「紀和駅」でした。


(出典①「阪和電気鉄道 沿線御案内」阪和電気鉄道発行 昭和11年)

(出典②「JTB時刻表 2021年11月号」)

(出典③「週刊朝日百科 週刊歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄16 南海電気鉄道」朝日新聞出版刊 平成22年発行))


次回に続きます。

今日はこんなところです。