阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その94「和歌山駅周辺の鉄道網変遷を辿る」Vol.8 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


JR、南海、和歌山電鐵が集う、和歌山駅周辺。
現在は「和歌山駅」と「和歌山市駅」の2つがその玄関口としての役割を果たしています。


歴史を掘り下げますと、深く複雑な経緯を持つこの周辺について、本題の「阪和電気鉄道」こと現在の「JR阪和線」のそれを中心に、現在までの変遷を実際に辿ってみようということをしています。


まずは「和歌山市駅」にやって来ました。
和歌山市内、中心部の二大ターミナルのうちのひとつ、南海電車が拠点にしている駅です。

構内の様子をしげしげと観察していますと…



この、ピンク一色に彩られた電車が停まっているではないですか!
これは明るく目立ちます。「めでたいでんしゃ」というラッピング列車でした。


行き先は「加太(かだ、和歌山市加太)」。


駅前の観光案内より。
「加太」は、ここから北西へ10kmほど離れた港町です。
鯛の水揚げが有名で、歴史ある古い街並みや、おいしい海産物などで人気を博しています。


その「加太線」を走る列車に、大胆なラッピングを施した列車が4編成運用されていました。



塗装だけでなく、車内の吊り革や座席も凝った意匠が施されているそうで、これはぜひに乗ってみたいもの。加太で海のおいしいものも食べてみたいですし…


ということで、すっかり「加太線」の名物となったという「めでたいでんしゃ」です。
平日でしたが、観光客と思しき乗客を車内にちらほらと見かけるほどでした。


ところで、この駅に降り立ってから大変気になっていたことがありました。



それが、架線の支持柱(青矢印)とホーム屋根の支持柱(赤矢印)が、きれいに一体化しているというもの。


全体を見渡すとこのような造形です。

架線支持柱がホームとホームの間、すなわち線路上で鉄骨の類で支えられている例は珍しくはないのですが、それが屋根の支持柱と一体化、それも大変機能的に、このようにデザイン的にも美しく一体化している、というのは見たことがありません。


おそらくはこれ、1903(明治36)年3月、この駅が開業した時に建設されて以来のものだと思われるのですが、一世紀以上前のものがいまだに現役であることもさることながら、やはり、「機能美」の方に意識が行ってしまいます。

乗り鉄している時に、このような発見をすると非常にうれしくなります。


そうこうしているうちに「めでたいでんしゃ」が加太に向けて発車。次の機会には、ぜひ乗り鉄してみたいところです。


それでは、ひと通り構内の探索を終えたところで、いったん改札を出てみることにします。


地上ホームから跨線橋へ。
列車の発着が途切れた時間でしたので、人気がないように感じるのですが、それでもなんだか閑散とした雰囲気です。


改札を抜け、駅全景を望む。
「キーノ和歌山」という愛称がつけられた、大変にきれいな駅ビルですが、昨年にこのように建て替えが完成したのだとのこと。市の玄関にふさわしい、立派なものです。


ホテルの他に、市立図書館も入居しているとのこと。鉄道とバスとの結節点にこのような施設があるというのは便利ですね。


ところで、駅前を走る道路の交差点名は「市駅前」。古くから、南海が発着するこちらは表記のように「市駅」と呼ばれており、浸透している呼称のようです。これは和歌山のみならず、他都市のそれでも見られる習わしです。

ちなみにJRの方は、特に略さず「和歌山駅」とそのままなのだそうですが、駅前から発着する和歌山バスは「和歌山駅」を「和駅」と表記することがあるとのこと。


ちなみに、全国津々浦々に存在する「○○市駅」という駅名称のうち、この駅が日本最古(1903年開業)でなおかつ、現在まで一度も駅名が変わっていないものだといいます。
この経緯も興味深いものがあります。


あたらしい駅ビルから、市内中心部への道路はこのような感じ。

お城や繁華街、県庁や市役所は、JR駅よりこちらの方が近いのですが、その「和歌山駅」よりだいぶ静かな雰囲気なのが印象的です。
後ほど、そちらにも訪問してみます。


次回に続きます。
今日はこんなところです。