阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その92「和歌山駅周辺の鉄道網変遷を辿る」Vol.6 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


歴史を掘り下げますと、深く複雑な経緯を持つ「和歌山駅」周辺。

本題の「阪和電気鉄道」こと現在の「JR阪和線」のそれを中心に、現在までの変遷を実際に辿ってみようということをしています。



まずは、大阪・なんばから「南海電車」の「特急サザンプレミアム」で和歌山入りしようと、その車中の様子からお送りしています。


難波を出て50分ほど、大阪・和歌山の府県境に差し掛かったところで、列車は「孝子峠(きょうしとうげ)」を越えるべく、身をくねらせながらトンネルへと入ります。


グーグル地図より。
地図を見ますと、府最南端の岬町を出てほどない距離で、和歌山市の中心部に到達出来るという位置関係がわかります。
ただしそのような短距離の間に、南海・JRともに山越えを要すという、特徴的な区間です。

狭い、狭いと思っていた大阪府ですが、ここまでの変化に富んだ車窓風景を鑑みますと、いささかそれは思い過ごしやったのかななどとも感じます。



トンネルを抜けると、南海本線で和歌山県最初の駅「和歌山大学前駅(ふじと台)」に停車。


地図ではわかりにくいのですが、山越え区間に近いので、まだ標高がある場所です。

駅の開業は2012(平成24年)と、まだあたらしい部類になりますが、2年後には特急停車駅に昇格、さらに巨大なイオンモールが最寄り、ということで、大規模な街開きや住宅分譲ともども、大阪でも盛んにPRされていたことを覚えています。確かに、特急列車が停車するとなると利便性は高そうです。


「和大前ふじと台」を発車。
ここからは、一気に勾配を降って和歌山市内の中心部へと向かいます。



そして、この赤が眩しい鉄橋を渡ります。
ゆっくりとですので、底から響く独特の音が心地良く感じられます。



これは「紀の川橋梁」。
上り大阪方面のものは1903(明治36)年に、いま渡っている下り和歌山方面のものは1922(大正11)年に架橋されたといいます。


目が覚めるような真紅もさることながら、これを渡りますと、いよいよ和歌山やなあと感じるところです。旅情があります。



大阪なんばからは1時間弱、南海の和歌山方のターミナル「和歌山市駅」に到着しました。


乗車していた列車は、徳島ゆきのフェリーに連絡する、ひとつ先の「和歌山港駅」ゆき。
いまでは数少なくなった、航路連絡を図っている列車でもありました。


さて、ようやく到着した和歌山です。

それでは、さっそくこの駅構内を探索してみたいと思います。 


次回に続きます。

今日はこんなところです。