阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その91「和歌山駅周辺の鉄道網変遷を辿る」Vol.5 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


歴史を掘り下げますと、深く複雑な経緯を持つ「和歌山駅」周辺。

本題の「阪和電気鉄道」こと現在の「JR阪和線」のそれを中心に、現在までの変遷を実際に辿ってみようということをしています。



そういったことで、難波から南海電車の看板列車「特急サザンプレミアム」で和歌山へ向かっているところです。
 

ここからは、車窓風景を中心にお送りします。
「関西空港」への玄関口「泉佐野駅(大阪府泉佐野市)」を出て、さらに府内を南下。
車窓には徐々に、緑が増えて来たのですが…


泉南を過ぎますと、広い広い海原が見えて来ました。大阪湾です。


グーグル地図より。
南海()は、ここからしばし海沿いをひた走ります。

対する「JR阪和線()」は変わらず山側で、山間部に差し掛かると真南へ進路を変えます。
直線ルートとなる代わりに、急勾配が連続する「雄の山峠(おのやまとうげ)」を長大なトンネルにより、府県境を超えるためです。


この急勾配を高速で運行するために、阪和はオーバースペックともいえる、超強力な馬力を誇る車両を用いていたという経緯がありました。「阪和線」から「大阪環状線」に直通する「紀州路快速」。「京橋(大阪市都島区)」にて。


南海も、もちろん府県境の峠超えをするのですが、和歌山までの区間が開業した明治末には、長大トンネルを掘削する技術は未成熟でした。


そのために、府県境ぎりぎりまで海沿いを経由してから「雄の山峠」と比べ、勾配が緩やかな「孝子峠(きょうしとうげ)」を通過するというルートを採っています。




それはさておき、海を眺めるというのは本当に心が和らぎます。南海電車に乗ると、このあたりではいつもほっとします。


府の最南端に当たる「みさき公園駅(同泉南郡岬町)」を発車しますと、2両編成の列車が並走。そして、左手へと分岐して行きます。


分岐して行ったのは「多奈川線(たながわせん)」という支線。
路線途中の「深日港駅(ふけこうえき、同)」駅前の深日港は長きに渡り、徳島や淡路方面へのフェリーが発着する交通の拠点で、難波から直通の連絡急行が運行されるほどでした。

ただ「大鳴門橋」や「淡路海峡大橋」の開通などが重なり、ここを発着するフェリーがすべて廃止されてしまい、久しく時間が経ちました。

次回に続きます。

今日はこんなところです。