みなさんこんにちは。 前回からの続きです。
府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という特別展の訪問記を、引き続いてお送りしています。
現在の「JR阪和線」を建設した「阪和電気鉄道」。「東岸和田(大阪府岸和田市)」にて、
2018(平成30)年5月撮影。
昭和初期の開業以来、人口希薄地だった沿線の開発によって定住人口の拡大を狙うとともに、和泉山地に近い、沿線の豊かな自然を活かしたさまざまな開発も、阪和は積極的に行っていた、というテーマを取り上げています。
さてここまで、展示の中心になっていた、阪和が発行していた、芸術的とも言える数々のリーフレットを拝見して来ました。
昭和初期の開業という、鉄道としては新興の部類にあった阪和。それゆえに、それまで知られていなかった沿線の豊かな自然を活かしたさまざまな名所、観光地のPRとしては、これ以上ないほどの力の入れようだったことが窺えます。
さらに、その沿線のレジャー開発について掘り下げてみることにします。
「砂川奇勝(すながわきしょう)・砂川遊園(すながわゆうえん)」についてです。
「砂川奇勝・砂川遊園」とは、現在の「大阪府泉南市(せんなんし)」にあった、阪和が開発した施設の中でも、最大規模のレジャー施設でした。
当時、在阪私鉄は沿線への集客を目的として、遊園地を盛んに建設しました。出典①。
阪和もそれに漏れず、さまざまな形状の白色の巨岩が幾重にも壁を成す「砂川奇勝」という、古くからの名勝をセットに「砂川遊園」を開設するに至ります。阪和が大阪・和歌山間を全通させたのと同じ1930(昭和5)年のことです。
最寄りは「阪和砂川駅(現在のJR和泉砂川駅、同)」。駅の東側に奇勝、遊園地との文字が見えます。出典①。
「和泉砂川駅」には、阪和開業時に建設された特徴的な三角屋根の駅舎がいまなお遺されています。遊園と奇勝に向いた、この東口のものは赤く塗られた急傾斜の屋根を持つ、実にかわいらしいものです。
ここから、たくさんの観客が遊園、奇勝へと押し寄せたといいます。
泉南市内中心部に向いた西口も、やはり赤色の三角屋根。
この様式は阪和独特のもので、つい最近までは沿線のあちらこちらで残存していたのですが、
現在、遺されている例はほんの僅かになってしまいました。貴重な遺産です。2018(平成30)年5月撮影。
砂川一帯は、冒頭で触れた遊園、奇勝のみならず、テント村やキャンプ場、松茸山なども併設した、まさに「総合レジャー施設」でした。
「天恵(てんけい)の楽園」と、各種リーフレットのタイトルにもなっていますが、奇勝をバックにした自然を活かして、大阪・和歌山双方からのアクセスも良いこともあり、さまざまな施設は大変な人気を博したようです。
それでは、阪和が開業時から注力した砂川のレジャー開発について、さらに掘り下げてみたいと思います。
(出典①「阪和電気鉄道 沿線御案内」阪和電気鉄道発行 昭和10年)
次回に続きます。
今日はこんなところです。