阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その69「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」展 Vol.26 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展を訪問した際の様子をお送りしています。


現在では「特急くろしお号」が結んでいることで知られる「阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)〜省線紀勢西線(現在のJR紀勢本線)」との直通列車運転について、その黎明期の様子を探っています。新大阪にて。



阪和と、和歌山で接続する「省線紀勢西線(現在のJR紀勢本線)」との「直通快速列車」。
1933(昭和8)年11月に開始され、翌月の「白浜口駅(現在の白浜駅)」開業に伴い、運転区間もそこまで延長がなされました。



夏季には、アロハシャツ姿になる白浜駅の駅員さん。関西ではおなじみの風景。

風光明媚な名勝と、豊富な湯量と泉質を誇る白浜温泉。人気観光地でありながら、アクセスが難点であったこの地まで、大阪からわずか3時間程度で到達出来る「直通快速列車黒潮号」は
忽ちにして大人気となりました。


さて、展示にあった、この時期の白浜に関する案内リーフレットを見てみますと…
阪和の他に「南海」の文字を見つけました。

「大阪〜南紀直通運転の実現」には、南海鉄道(現在の南海電車)も、大変な意欲を持っていました。ただし、さまざまな理由で鉄道省との調整が難航し、これの実現は阪和に先を越されてしまいます。そして…


1934年(昭和9年)
11月17日:省線紀勢西線(現在の紀勢本線)との直通列車「黒潮号」を運転開始。

阪和が開業して以来のライバル・南海も、阪和に遅れること約1年後の昭和9(1934)年11月、念願であった「直通快速列車」の運転に漕ぎ着けます。


客車(南海は鉄道省から借り入れ)を使用して「南海難波」から特急電車が牽引。
和歌山到着後、省線の蒸気機関車に付け替えられて南紀白浜へ向かうという、阪和のそれと同じ運行方式が採られました。出典①。



それまでは、阪和単独だった「省線紀勢西線」への路線案内にも、南海が加わるようになりました。大阪・和歌山間でしのぎを削っていた両雄がついに、南紀への観光客輸送においても相並んだ瞬間でした。


それでは、阪和・南海両社発行による「黒潮列車」時刻表から、例に土曜日運転分をひもといて、詳しい運転時刻を探ってみます。
阪和は「阪和天王寺 午後2時30分発→東和歌山 午後3時15分着・同20分頃発→白浜口 午後5時29分着」、所要時間は2時間59分。

対する南海は「南海難波 午後2時10分発→和歌山市 午後3時05分頃着・同10分頃発→東和歌山 同15分着・同20分頃発→白浜口 午後5時29分着」、所要時間は3時間19分。

この、南紀直通列車でも激しい競合となった両社ですが、トータルの所要時間では、両社で20分もの差がついていることがわかります。
これには、幾つか理由がありました。

(出典①「カラーブックス日本の私鉄⑨南海」南海電気鉄道車両部・井上広和共著 保育社刊 昭和56年発行)
(年表出典「フリー百科事典ウィキペディア」#南海本線)

次回に続きます。
今日はこんなところです。