みなさんこんにちは。前回からの続きです。
府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展を訪問した際の様子をお送りしています。

さて前回から、念願の大阪・和歌山間の全通を果たした阪和が、あらたに拠点とした和歌山で
PRのために作成・配布した、時刻表を兼ねたリーフレットについて、あれこれと掘り下げています。1930(昭和5)年7月のものです。

「電車賃」についての記載。
しかし果たして、90年前の運賃の水準というのはどのようなものだったのか。
「阪和電鉄 阪和東和歌山ー阪和天王寺間」
→「JR阪和線 和歌山ー天王寺間」にまつわる旅客運賃を、現在のそれと比べてみたいと思います。
「国鉄(JR)入場券・初乗り運賃」
昭和5年=10銭→令和3年=140円
を基準とします。
以下、1930(昭和5)年→2021(令和3)年。
通学定期券
1ヶ月 14円55銭→11160円
1回乗車あたり 約24銭→約186円
1ヶ月 14円55銭→11160円
1回乗車あたり 約24銭→約186円
6ヶ月 49円25銭→60300円
1回乗車あたり 約14銭→約171円
これだけの比較ではなかなかわかりにくいのですが、先ほど挙げたレート(10銭≒140円)を基準にして、仮に、現在ではどのくらいの貨幣レベルになるのかと換算しますと…
片道 96銭≒約1344円
(現在の実際運賃 870円)
往復 1円92銭≒約2688円
(現在の実際の運賃 1740円)
と出ました。実運賃より3〜4割ほど高かったことがわかります。
新幹線はじめ、広大な路線網を誇る現在のJR。それに対し、開発が進んでいなかった沿線にいちから路線を敷設した阪和電鉄、と比べますと、高価な設備の減価償却を図りながら、あらたな客層を獲得するさなかであったことを考えると、ぎりぎりのラインだったのでしょうか。
参考までにこの時代の、鉄道運賃以外の物価についても調べてみました。
天丼60銭 カレー10銭 そば10銭
コロッケ2銭 コーヒー10銭 牛乳6銭
扇風機37円 新聞1ヶ月1円
葉書1銭5厘 封書3銭
サラリーマン大卒初任給 80円
サラリーマン中卒初任給 35円
市営アパート家賃6畳2間 20円
メンコ5~10枚 1銭
牛肉ロース100匁(375g)1円60銭
ただし、昭和初期から終戦までの20年あまりの間は、金融恐慌(世界恐慌)に巻き込まれ、東北地方での冷害による大凶作、また、日中戦争が激化のまま第二次世界大戦に突入するなど、不安定な経済状態からハイパーインフレが頻発したので、モノや貨幣の価値というのは、いまでは考えられないような乱高下を繰り返していたようです。余談でした。出典①・②。
さて、本題に戻りまして…
大阪・和歌山間を最速65分で運行開始した阪和は、早くも同年の10月に5分の所要時間短縮。

さらに、翌1931(昭和6)年4月にダイヤ改正。
ここでも5分切り詰めて、最速の急行は所要時間を55分。念願の阪和間1時間を切りました。そして…
この「超高速運転」こそ「阪和電気鉄道」が最大の目標にしたものであり、昭和初期の当時としては日本随一を誇り、いまだに「伝説」といわれる、とんでもないプロジェクトでした。
(出典①「新詳日本史図説」浜島書店編著・発行 1991年11月)
(出典②「昭和レトロテーマパーク 湯布院昭和館」ホームページ)
https://www.yufuin-syowakan.jp/showa-full-chronology
今日はこんなところです。