みなさんこんにちは。前回からの続きです。
府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展を訪問した際の様子をお送りしています。


1930(昭和5)年6月の、阪和天王寺(→JR天王寺)・阪和東和歌山(→JR和歌山)間全通からわずか2年あまり。
全通当初は最速65分だったのを、スピードアップで徐々に所要時間を短縮、1933(昭和8)年4月のダイヤ改正で「特急」が設定され、最速48分で阪和間を結ぶこととなりました。
ライバル・南海は大阪・和歌山間で最速60分、所要時間の面ではついに、老舗の南海を大きく圧倒するに至ります。
この、48分運転を実現した当時の時刻表を探って行きますと…
東和歌山駅を起点に、当時存在していた「和歌山軌道線」に乗り換え「新和歌浦港」へ。
四国・小松島港(徳島県)への「四国航路」は近年まで存在していたものですが、紀伊半島沿岸の「田辺・串本・古座・勝浦」へと至る汽船連絡もなされていたようです。
「和歌山市内から、船に乗り換えて紀伊半島の沿岸各地へ向かう」…ということですので、今日ではなかなか想像がつかないルートがあったのだな、と思っていましたら…
このような展示を見つけました。
阪和が発行したものですが「省線紀勢西線 南部(みなべ)まで開通」…というPRチラシです。
和歌山県の、太平洋沿岸をぐるりと巡るのは「JR紀勢本線(きせいほんせん)」です。
「和歌山市駅」を起点に、阪和がターミナルを設けていた「東和歌山駅(現在のJR和歌山駅」を経由、御坊・田辺・白浜・串本・勝浦・新宮…と、県下の主要都市を経由して南下。
新宮を過ぎると三重県に入り、尾鷲・多気・松阪・津と経て、関西本線の亀山(三重県亀山市)に至る、全長384.2kmの大幹線です。出典①。
ですが、幹線としては全通は比較的遅く、1959(昭和34)年に三重県内の最後の区間が開業しようやくにして結節されました。
海岸線近くまで、急な山々が迫るという地形から、需要があっても工事がなかなか進まなかったことが理由としてあったためです。
先ほど触れた、新和歌浦港から紀伊半島の沿岸各地に寄港する航路があったのも、そのためだったことが窺えます。
そんな中の阪和が和歌山まで全通した頃、紀勢本線が徐々に延伸されて行きます。
この頃は路線が途切れ途切れに敷設されていて「紀勢西線」「紀勢中線」「紀勢東線」と呼称されていたようです。
このチラシは、
1931年(昭和6年)9月21日
印南駅 - 南部駅間 (14.8km) が延伸開業し、切目駅・岩代駅・南部駅が開業。出典②。
の時に、発行されたものだとわかりました。
ちなみに、この時に開通した「南部(和歌山県日高郡みなべ町)」はこのあたり。
梅林が有名で、さらに「南高梅」の産地としても知られています。わたしも大好きです。
紀伊田辺や、全国的に有名な温泉地・白浜まではもう少し!という位置関係です。①

さらにこの時刻表を掘り下げてみますと、これはその南部からさらに先、紀伊田辺(和歌山県田辺市)までの延伸が成った時のものでした。
1932年(昭和7年)11月8日
南部駅 - 紀伊田辺駅間 (9.1km) が延伸開業し、芳養駅・紀伊田辺駅が開業。②
南部まで延伸された翌年に当たります。
和歌山市内に近く、古くから繁栄していた田辺への延伸はやはり需要が大きかったようで、急行列車が設定されていることも、そのあらわれのようです。
ここで掲載されている、「田辺→東和歌山→大阪方面」連絡の、くだんの急行列車の時刻を拾ってみますと…
省線紀勢西線
紀伊田辺 1357/1700→南部 1410/1713→
御坊 1451/1754→湯浅 1505/通過→
藤並 1517/1815→箕島 1533/1829→
海南 1550/1848→東和歌山 1604/1858
阪和東和歌山 1610/1910→
阪和天王寺 1656/1956
紀伊田辺〜東和歌山間は約2時間、東和歌山で
阪和の「超特急」に乗り換えて、大阪天王寺まで46分。だいたい、3時間程度です。
これならば、和歌山市内からのみならず、大阪からでも日帰りや一泊で、田辺や白浜の温泉に遊覧旅行も楽しめそう…
これは、阪和のスピードアップによって、さらに計画が進められて行くことになります。出典③。
大阪・和歌山間を全通当時(昭和5年)に65分、翌年には55分、3年後(昭和8年4月)には48分。
そして、ついに「阪和間45分運転」という、日本鉄道史上に残る、超高速運転を成し遂げることとなりました。
(出典①「JTB時刻表」2021年3月号)
(出典②「フリー百科事典ウィキペディア #紀勢本線」)
(出典③「阪和電鉄御案内」昭和10年または11年)
次回に続きます。
今日はこんなところです。