みなさんこんにちは。前回からの続きです。
府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展を訪問した際の様子をお送りしています。
そして、沿線に点在している寺社仏閣のアピールも。これらは昭和初期には、決して珍しいものではありませんでした。
なんといっても、自社路線があの有名な「仁徳天皇陵(大仙陵古墳。2019年に「百舌鳥・古市古墳群」としてユネスコ世界遺産に登録される)」のすぐそばを通っており、さらにその名前を冠した駅があるということは、明治維新以来、国家神道が推進されて来た時代背景からしますと、これ以上ない大きなPR材料となったに違いありません(現在は「百舌鳥駅=もずえき、堺市堺区=」に改称されている)。
「阪和電鉄御案内」昭和10年または11年発行。

ところでこの「創立趣意書」、その「電動力」のくだりを読んで行きますと、阪和の創設に当たって重要な役割を果たした、あの鉄道会社の名前が出て来ます。「京阪電車」です。
ですが、その営業範囲は大阪市内から府の北東部、そして京都、滋賀。
阪和が目指した、泉州や和歌山といった地域とは、まるで異なります。
実は、戦前の京阪というのは、今日の姿とはまったく異なるもので、関西において、各方面に多大な影響力を誇っていた、多角経営の会社でした。いずれも、三条にて。
次回に続きます。
今日はこんなところです。