阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その56「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」展 Vol.13 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展を訪問した際の様子をお送りしています。



「JR阪和線」の前身、「阪和電気鉄道」の会社創設に当たり、出資者を募るために作られた「創立趣意書」を拝見しています。
大正末期の大変貴重なものですが、これについて、あれこれ述べております。


阪和が路線敷設を決断する理由のひとつとしては、大阪に近い割に、開発がまだまだ進んでいなかった沿線を宅地開発し、居住人口の増加も見込んだこともあったことが、文面からは見て取れます。



あたらしく鉄道路線を敷設し、その沿線に住宅地を開発、居住人口を増やすとともに、自社路線のユーザーになって貰うという手法は、関西では「小林一三翁(1873-1957)」が手掛けた「阪急宝塚線」の例が知られていますが、同様の試みを阪和でも行っていたようです。

それも、阪和の場合は結構な、破格の大盤振る舞いだったようで…
こちらも、また後日項で触れたいと思います。


そして、沿線に点在している寺社仏閣のアピールも。これらは昭和初期には、決して珍しいものではありませんでした。



なんといっても、自社路線があの有名な「仁徳天皇陵(大仙陵古墳。2019年に「百舌鳥・古市古墳群」としてユネスコ世界遺産に登録される)」のすぐそばを通っており、さらにその名前を冠した駅があるということは、明治維新以来、国家神道が推進されて来た時代背景からしますと、これ以上ない大きなPR材料となったに違いありません(現在は「百舌鳥駅=もずえき、堺市堺区=」に改称されている)。

「阪和電鉄御案内」昭和10年または11年発行。


ところでこの「創立趣意書」、その「電動力」のくだりを読んで行きますと、阪和の創設に当たって重要な役割を果たした、あの鉄道会社の名前が出て来ます。「京阪電車」です。



当ブログでは、幾度となく取り上げている「京阪電車」。大阪と京都、びわ湖を結ぶ、明治末期に開業した都市間鉄道です。



ですが、その営業範囲は大阪市内から府の北東部、そして京都、滋賀。
阪和が目指した、泉州や和歌山といった地域とは、まるで異なります。

実は、戦前の京阪というのは、今日の姿とはまったく異なるもので、関西において、各方面に多大な影響力を誇っていた、多角経営の会社でした。いずれも、三条にて。


次回に続きます。

今日はこんなところです。