懐かしの写真で振り返る「阪神電車大阪梅田駅 今昔物語」その6 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


「阪神電車 大阪梅田駅(大阪市北区)」改札内で掲出されている、この駅の開業以来の歴史を振り返るパネル展示「大阪梅田駅今昔物語」について、あれこれと取り上げています。


前回までの記事では「阪神電車」は、本線系統の他にも、日本最大の規模を誇る路面電車路線も保有していた…ということについて、だいぶ引っ張って(苦笑)述べて来ました。出典①。


「阪神電車の路面電車(軌道線)」は、二つにその路線系統が大別されていました。
「国道線」「甲子園線」と「北大阪線」です。
出典②。


その「国道線」「北大阪線」のターミナルとなっていたのが、いま居る「大阪梅田駅(大阪市北区)」から2駅西に位置する「野田駅(同福島区)」です。




グーグル地図より。
「特急」「直通特急」などは通過するのですが、「西宮駅(兵庫県西宮市)」を発着する「急行」は終日にわたり、停車します。



阪神のみならず「OsakaMetro千日前線(野田阪神駅)」や「JR東西線海老江駅」が、互いに連絡しています。
「大阪シティバス」も数多くの系統がここを終始発地とするなど、「野田阪神」という地名で親しまれている市内西部の交通の拠点です。


わたしも、JRから阪神電車への乗り換えには、この駅によくお世話になっています。


この駅の北側、現在は、バスターミナルや商業施設「ウィステ」、阪神電鉄本社が入居している広い敷地には「軌道線 野田駅」が1975(昭和50)年5月の路線全廃までありました。


その「野田阪神」から、大阪・梅田駅の北側を迂回する形で、新淀川沿いに路線を延ばしていたのが「北大阪線」です(地図中)。以下、出典③。


路線については、毎年おなじみ「Wikipedia#阪神北大阪線」から。

1914年8月に開業した。
大阪の北側、新淀川沿岸における未開発地域を開発する目的で敷設された。
軌道敷設の特許を受けたのは別会社の北大阪電気軌道だった(ただし、阪神電気鉄道の株式に半分の株を割り当て、役員の多くも阪神の関係者であった)が、後の1927年に阪神国道電軌の手によって開業した阪神国道線とは異なり、工事に着手する前に阪神電気鉄道と合併し、阪神の路線として開業した。

大淀区(現・北区)経由で大阪市街北部を半周し、梅田へ集まる各鉄道線を短絡する、準環状線としての性格を持っていた。


阪神国道線ほどにはモータリゼーションの影響は受けず(後日項で触れます)、乗客数も比較的多かったものの、阪神国道線の廃止によって車庫への出入庫ができなくなるためにバス化されることになり、1975年5月、国道線・甲子園線全廃と運命を共にし、廃線となった。出典④。


野田から延びる、その「北大阪線」の終着駅は「天神橋筋六丁目駅(同北区)」でした。出典③。


長い地名や駅名を略すのが好きな?大阪人には「天六(てんろく)」と呼ばれています。
現在は「OsakaMetro谷町線・堺筋線」と「阪急千里線」が乗り入れている、こちらも市内有数のターミナル駅。


ただ、野田阪神と違うのは、長い長い「天神橋筋商店街」や飲み屋などが集積している「盛り場」だということでしょうか。
いつ行ってもにぎやかなところです。


ちなみに「堺筋線」と「阪急千里線」は、この駅を介して相互乗り入れをしています。「南森町駅(同)」にて。


しかし、個人的には「天六」というと、「堺筋線」や「阪急」のイメージが強いので、40数年前のことだとはいえ、実体験のない世代のわたしとしては、梅田からだいぶ東側に当たるこの天六に「阪神電車」が乗り入れていたとは、なかなか実感が湧きません。


そして、「野田駅」をターミナルにしていたもうひとつの軌道線が「国道線」です()。

「阪神本線」と「国鉄東海道本線(現在のJR神戸線)」にはさまれた「国道2号」上を走ることに路線名は由来しています。出典②。


「国道2号」を走る「国道線」車両。
現在は、終日にわたって多数のクルマが引きも切らぬ主要幹線ですが、モータリゼーションがはじまる前には、のんびりとした雰囲気です。出典①。

(出典①「カラーブックス日本の私鉄12 阪神」廣井恂一・井上広和著 保育社刊 昭和57年2月発行)
(出典②「私鉄ガイドブック・シリーズ第5巻 阪急・京阪・阪神」慶應義塾大学鉄道研究会編 誠文堂新光社刊 昭和42年12月発行)
(出典③「レールウェイマップル 全国鉄道地図帳」昭文社刊 2020年12月発行)
(出典④「ヤマケイ私鉄ハンドブック5 阪神」廣田尚敬写真・吉川文夫解説・山と渓谷社刊 1982年6月発行)

次回に続きます。
今日はこんなところです。