多扉車の元祖「京阪電車5000系」ラストランへ向かって〜その46 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


6月に引退が決定した、日本初、さらに日本最後となった「多扉車(たとびらしゃ)」こと、朝ラッシュ時に5扉を使用していた「京阪電車5000系」についてあれこれ取り上げています。

 

シリーズを終えるに当たり、大阪から京阪沿線に沿って「5000系」が活躍していた頃のショットを最後にお送りしています。

新旧塗装が入り混じる、2008年撮影。

 

 

今日は京都市内に入って、最初に特急が停車する「中書島駅(京都市伏見区)」です。


改札口を入ったところに、ずらり並ぶ行先表示器。列車が発着するたびに「パタパタパタ」…と回る、あのおなじみのものです。

現在では、LEDやLCD式に取って替わられましたが、いまや懐かしいものになりました。

 

 

 

この駅も、大きくカーブにかかっています。

従って、わたしでもいい画になります(笑) 

 

 

 

 

雨がそぼ降る中書島を後に、出町柳へと準急が発車して行きました。

 

 

 

そういったことで、さまざまな切り口から、6月に引退が決まった「京阪電車5000系」についてあれこれと取り上げて来ました。 

 

 

 

高度経済成長期のただ中に登場し、打つ手がないような、殺人的な毎朝のラッシュに対して「5扉車」という斬新なアイデアで、大変な効果を発揮した「5000系」。当時の京阪電車にしてみれば「救世主」だったのかも知れません。 



奇しくも、近年の少子高齢化に重なり、コロナ禍による利用客の減少。
この車系が登場した1970〜80年代とは、まったく異なる輸送状況と化した現在です。


しかしその当時、全国の他の鉄道会社がどれひとつとして形に出来なかった「5扉車」。


「進取の京阪」「技術の京阪」と創業以来称される、社是の結晶だったことは間違いありませんし、なによりこの車系が果たした役割、そして車系が有する特殊機能というのは、日本鉄道史上に残るほどのものと言っても、いささかもおおげさではないと、わたしは感じます。

 


6月のラストランまで、どうか無事に最後の活躍が出来るように願っています。

長躯、シリーズにお付き合いくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。