多扉車の元祖「京阪電車5000系」ラストランへ向かって〜その44 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

6月に引退が決定した、日本初、さらに日本最後となった「多扉車(たとびらしゃ)」こと、朝ラッシュ時に5扉を使用していた「京阪電車5000系」についてあれこれ取り上げています。

 

シリーズを終えるに当たり、大阪から京阪沿線に沿って「5000系」が活躍していた頃のショットを最後にお送りしています。

新旧塗装が入り混じる、2008年撮影。

 

 

路線の中間に当たる「枚方市駅(ひらかたしえき、大阪府枚方市)」までやって来ました。 

 

 

グーグル地図より。

枚方は、大阪・京都の中間にある都市です。

旧京街道の枚方宿があり、淀川の水運を活かして、古くから栄えたところでした。

 

 

そういったことで京阪電車が明治末期に開業して以来、主要な拠点駅として現在に至ります。 

 

 

 

特急も停車、終日にわたり緩急接続する姿が見られる、活気ある駅です。ところで…

 

 

この駅からは「交野線(かたのせん)」が「私市駅(同交野市)」まで分岐しています。

 

1929(昭和4)年に「信貴生駒電鉄」という鉄道会社により「枚方線」として開業、その当時は、生駒山地に沿って府県境を越えた「生駒駅(いこまえき、奈良県生駒市)」までを結ぶ計画がありました。

 

 

一方、同社は生駒から「生駒線」を開通させて「王寺駅(同北葛城郡王寺町)」までを結びました。現在の「近鉄王寺線」に当たります。

 

さまざまな理由によって、結局は「私市〜生駒間」の路線は建設されず、それぞれの路線は、京阪と近鉄に委ねられることになりました。

 

 

その「交野線」から大阪方面へは、かつて朝に「通勤快急 おりひめ」が、夜に「快速急行  ひこぼし」が直通運転されていました。

 

沿線には「天野川」という河川があるなど、古くから七夕伝説が語り継がれていることからの

風情ある愛称でしたが、2013(平成25)年のダイヤ改正で廃止されました。

隣に停車している「5000系」の「通勤準急」を待たせて、発車して行こうかというところ。

 

 

次回に続きます。 

今日はこんなところです。