みなさんこんにちは。前回からの続きです。
6月に引退が決定した、日本初、さらに日本最後となった「多扉車(たとびらしゃ)」こと、朝ラッシュ時に5扉を使用していた「京阪電車5000系」についてあれこれ取り上げています。
シリーズを終えるに当たり、大阪から京阪沿線に沿って「5000系」が活躍していた頃のショットを最後にお送りしています。
新旧塗装が入り混じる、2008年撮影。
路線の中間に当たる「枚方市駅(ひらかたしえき、大阪府枚方市)」までやって来ました。
グーグル地図より。
枚方は、大阪・京都の中間にある都市です。
旧京街道の枚方宿があり、淀川の水運を活かして、古くから栄えたところでした。
そういったことで京阪電車が明治末期に開業して以来、主要な拠点駅として現在に至ります。
特急も停車、終日にわたり緩急接続する姿が見られる、活気ある駅です。ところで…
この駅からは「交野線(かたのせん)」が「私市駅(同交野市)」まで分岐しています。
1929(昭和4)年に「信貴生駒電鉄」という鉄道会社により「枚方線」として開業、その当時は、生駒山地に沿って府県境を越えた「生駒駅(いこまえき、奈良県生駒市)」までを結ぶ計画がありました。
一方、同社は生駒から「生駒線」を開通させて「王寺駅(同北葛城郡王寺町)」までを結びました。現在の「近鉄王寺線」に当たります。
さまざまな理由によって、結局は「私市〜生駒間」の路線は建設されず、それぞれの路線は、京阪と近鉄に委ねられることになりました。
その「交野線」から大阪方面へは、かつて朝に「通勤快急 おりひめ」が、夜に「快速急行 ひこぼし」が直通運転されていました。
沿線には「天野川」という河川があるなど、古くから七夕伝説が語り継がれていることからの
風情ある愛称でしたが、2013(平成25)年のダイヤ改正で廃止されました。
隣に停車している「5000系」の「通勤準急」を待たせて、発車して行こうかというところ。
次回に続きます。
今日はこんなところです。