多扉車の元祖「京阪電車5000系」ラストランへ向かって〜その23 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


6月のラストランが迫った、日本初で日本最後となった多扉車(たとびらしゃ)「京阪電車5000系」と、全国的に見ても、朝ラッシュ時の混雑が殊に激しかった京阪沿線において、昭和30〜50年代に旅客輸送対策のために行われた事業を、時系列に取り上げるということをしています。



今項では、1972(昭和47)年に起工され、完成までに10年あまりを要した「土居〜寝屋川信号所間高架複々線化工事」と、ちょうどその時期に投入が開始された、本題の「5000系」との関わりについて掘り下げたいと思います。



さて「守口市駅(大阪府守口市)」を「区間急行」で出発。ここから先は、その昭和40〜50年代に高架複々線化された区間に当たります。



すぐに右へと大きなカーブ。前回の記事で触れた、広大な敷地のパナソニック本社が左手に見えて来ました。


ちょうど、隣の優等列車の線路(京阪では「A線」、いま走行している各駅停車の線路は「B線」と呼称している)に、頃合いよく?京都ゆきの特急が並走してくれるではないですか。


名物「2階建てダブルデッカー」や…


豪華な装備の座席指定車両「プレミアムカー」が隣を走り抜けて行きます。複々線区間ならではの、見応え乗り応えある光景です。



特急に追い抜かれたところで、カーブの合間にはさまれた、隣の「西三荘駅(同)」に到着。




先ほども触れましたが、松下電器(→パナソニック)の本社機能が集積する最寄り駅に当たり、現在でも朝夕のラッシュにはたくさんの乗降が見られます。出典①。


(出典①「記念誌 クスノキは残った 土居〜寝屋川信号所間高架複々線化工事の記録」京阪電気鉄道株式会社編・刊 1983年)


次回に続きます。
今日はこんなところです。