みなさんこんにちは。前回からの続きです。
本題の「5000系」の話題からは少し離れまして全国的に例のないほどの沿線人口の爆発的な増加の中、年を追うごとに激化していった京阪電車の平日朝ラッシュ時輸送、その解決のために採られた対策について、時系列的に掘り下げる
ということをしています。
今日からは「天満橋〜野江間高架複線化・京橋駅移設(昭和44年11月、翌45年に複々線化)」についてです。
前回の記事では、明治の開業以来、京阪電車の悲願であった「淀屋橋乗り入れ」について取り上げました。
大阪のメインストリート「御堂筋」、その直下を走る「御堂筋線」に接続することで、激増する乗客を市内中心部まで乗り換えなしに輸送出来るようになり、大阪市内交通網の一大整備事業がここに完成しました。1963(昭和38)年4月のことでした。(出典①)
「淀屋橋延伸」により、長年、地上ターミナル駅だった「天満橋駅(大阪市中央区)」は地下に移設されました。
「新・天満橋駅」の直上には「松坂屋大阪店(閉店。現在は京阪シティモール)」が新装開店し、界隈の再開発も進むこととなります。(出典②)
さて、「天満橋駅」を出た電車はすぐに地上へ出て、東へと向かいます。
グーグル地図より。
街はずれだった「天満橋」から市内中心部への延伸を果たした京阪ですが、この先の区間にはまだ輸送の隘路が存在していました。
それを解消するために行われた事業が、今回取り上げている「天満橋~野江間高架複線化工事」でした。
工事は1966(昭和41)年から開始されましたが、地平を走る従来線を単に高架化するだけではなく、踏切が多く、駅前後に急カーブが連続する上に狭隘で、さらに多数の乗降客が押し寄せる「京橋駅(同都島区)」の場所も変更するという、大規模なものとなりました。
現在の京橋駅への移設工事に当たります。(出典③)
従来線は「天満橋」を出て、大阪城の北側をしばらく地上で走行。
「大阪市電」と平面交差する「片町(かたまち)交差点」、そのかたわらに「片町駅(同)」が存在していました。(出典②)
再び、グーグル地図より。
かつてあった「片町駅」周辺を拡大したもの。
緑の線が京阪の旧線路、赤い線が「片町駅」があった場所を示しています。
先ほども触れましたが、駅の東側の「片町交差点」で京阪と大阪市電(青い線)、そして、都島区中心部へとつながる市道が交差するという状況だったのですが、この市道、交差点の北側で交わる「国道1号」から「大阪府庁」などのある官庁街とを結ぶルートになっていたこともあり、昭和30年代後半から大変な交通渋滞を来たしていたようです。
さらに、京阪側では乗客の増加で列車本数が増加したこともあり、いわゆる「開かずの踏切」となってしまい、混雑に余計拍車をかける悪循環を生みだしていました。
高架化工事の完成で踏切はなくなったものの、移設される「新・京橋駅」と距離が近接することから同時に「片町駅」も廃止されるに至りました。
その代替えに、現在の「京阪京橋駅」の西側には「片町口」が設けられています。
ところで先の地図では、かつて「片町駅」があった場所に「大阪城北詰駅(同)」という、「JR東西線」の駅が設けられていることがわかります。
場所的には「片町駅」の代替えであるとも言えるものなのですが…
「京阪電車片町駅」の南側には、「JR」にも「片町駅」が存在していました。
京阪とは競合関係にある「学研都市線」の終着駅として、明治の開業以来、長年にわたって親しまれて来たのですが、先ほど触れた「JR東西線」の開業で、発展的に廃止になりました。廃止直前の1997(平成9)年3月撮影。
昭和の末頃から、駅の南側に「大阪ビジネスパーク(OBP)」の高層ビル群が林立するなど、近年で大きく姿を変えた片町周辺ですが、そちらへのアクセスは「京橋駅」からの方が便利なこともあり、クルマの量は多いものの、意外なほどひっそりしている「片町」です。
時期は異なれど、二つの「片町駅」があったこと、そのどちらもいまは存在しないことが奇遇にも思えます。
(出典①「大阪・京都・神戸 私鉄駅物語 写真・資料でたどるターミナル駅の変遷」 高山禮蔵著・JTBパブリッシング刊 2005年)
(出典②「鉄道ピクトリアル553号 臨時増刊 京阪電気鉄道」 電気車研究会・鉄道図書刊行会編・刊 1991年)
(出典③「京阪百年のあゆみ」 京阪電気鉄道株式会社編・刊 2010年)
次回に続きます。
今日はこんなところです。