多扉車の元祖「京阪電車5000系」ラストランへ向かって〜その4 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 
激しい朝のラッシュに対応すべく、半世紀にわたって活躍を続けて来た「京阪電車5000系」にまつわる話題をお送りしています。
 
 
さっそくですが、グーグル地図より。
ここからは、本題の「5000系」から範囲を広げて、京阪沿線の開発と旅客数の増大に至った経緯などについて述べたいと思います。

京阪電車が路線を延ばしている大阪から京都を俯瞰すると、その方角は「北東」であることがわかります。
風水の話しになりますが、「北東」はいわゆる「鬼門(きもん。古来から”鬼が入って来る不吉な方角”とされる)」に当たるので、大阪や京都という大都市に近いにも関わらず、昭和30年代に入るまでは、京阪沿線はさほど開発が進んでいませんでした。 
 
 
沿線開発が進んでいないことに目をつけて、当時事業を拡大しようとしていたパナソニック創業者の松下幸之助翁(1894-1989)は「鬼門、鬼門というが、地図を見れば日本列島はあまねく東北の方向ばかりではないか」という名言のもと、戦前に京阪沿線の守口・門真に広大な土地を入手し、ここに会社の拠点を設けました。
 
 
そういったことで、現在もパナソニックの本社拠点は守口・門真だという逸話があります。
「西三荘駅(にしさんそうえき、大阪府門真市)」はそれらの最寄り駅に当たり、かつては車内放送でも「西三荘、松下前」と案内されていました。

出典「パナソニック」公式ホームページ、Wikipedia「#パナソニック株式会社」より。
 
ただしこれは例外の話しで、鬼門に対する印象というのは、昔の人々にとってはかなり悪いイメージがつきまとうものだったようです。
 
 
 
京阪電車が1910(明治43)年に開業してからもそうした感情は根強くあったようで、大阪からは鬼門(京都からでは裏鬼門)に当たる沿線の守護と開発、さらに参拝客を見込んで、沿線の香里園(こうりえん。大阪府寝屋川市)に「成田山不動尊大阪別院」を誘致することになりました。


朝日大阪朝刊 2021(令和3)年2月3日付け 19面(大阪東部・河内地域面)より。

毎年、成田山では節分の豆まきが盛大に行われるのですが、取り止めになってしまいました。
大阪では、この時期の恒例行事なのですが…

 
「電鉄会社が誘致した不動尊」というのは実に珍しいものですが、現在では「交通安全のお不動様」として、大阪では高い知名度のある名刹として広く知られています(出典「京阪百年のあゆみ」P698-699)。
 

ちなみに、ウチのクルマも買った時にはその成田山でご祈祷して貰いましたが、大阪を走るクルマには昔から、このステッカーを貼ったものが多いように感じます。余談でした。
 
 
そういった事情もあり、京阪電車のすべての車両には、成田山のお守りがあります(「石清水八幡宮」へアクセスするケーブル線は除く)。
 
 
もちろん、今回取り上げている「5000系」にも大切に祀られています。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。