みなさんこんにちは。前回からの続きです。
10月でデビューから50年を迎えた、JR西日本の看板列車「新快速」、その歴史をひもといた、特別展が行われている「京都鉄道博物館(京都市下京区)」を訪れた際の様子をお送りしています。
50年の歴史の中で、1980(昭和55)年1月に、初めての「新快速専用車両」として活躍した「117系」について取り上げています。
さて、展示の中で、ちょっと気になるものを見つけました。
「新大阪駅新快速停車」…
横の解説には、1985(昭和60)年3月から停車するようになった、とのくだりが。
いまから考えると信じがたいのですが、昭和の末頃になって、ようやく「新大阪駅」に「新快速」が停車するようになったとは。
これには驚きますが…
ちょっと、確認してみることにします。
「国鉄監修 交通公社の時刻表 1981年3月号」より。やはり新快速は新大阪を飛ばしています。
「すべての新幹線が停まる駅なのに何故に?」と思うのですが、おそらくは、当時の新快速の性格というのが、純粋に「京阪神3都市間を最速で結ぶ列車」と位置づけられていた、ということがあったからでしょうか。
ところで、その「新快速の新大阪飛ばし」のことを述べておりますと、この書籍の存在を思い出しました。
幼少の頃に、穴が開くほど読み倒した、こちらの「日本の鉄道6 東海道本線(写真 井上広和、解説 ジェイ・アール・アール、発行 山と渓谷社。1983年9月)」。ちょっと拾ってみます。
発行された当時は、新快速の主役はもちろん、その「117系」でした。
新大阪駅近くの、宮原電車区と操車場の様子も。手前には旧型客車も停まっていて、時代を感じます。
そうそう、このページでした!
幼心にも、なんで停まらへんのやろうか?と、ふと思ったことを回想してしまいました。
そういったことで、スピードもさることながら車内設備の良さでも、新快速の利用客がさらに増加傾向に転じたのが、この昭和50〜60年代のことでした。
この頃、ライバルの京阪では「テレビカー」の「3000系(初代)」。
そして、阪急では「6300系」と、京都・大阪間の3社の間では、豪華な専用車両を使用した熾烈な競争が繰り広げられることになりました。
そしてあらためまして、世は平成に入ります。
次回に続きます。
今日はこんなところです。