鉄道コレクション 節目の第30弾が来冬発売!気になるのは「近鉄18200系」〜後編 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 
 
トミーテックから来冬に発売予定の人気鉄道模型シリーズ「鉄道コレクション 第30弾」、そのラインナップの中でも大変気になる「近鉄18200系」と、この車両が登場した時代背景などについて、あれこれと取り上げています。
 
 
前回までの記事で、この車両が「近鉄電車の路線規格統一までの過渡期にデビューした、特殊な装備を兼ね備えた存在」…ということについて触れました。それでは、時系列でその「路線規格統一の動向」と「18200系」の関わりについて述べて行こうかと思います。
 

出典は、引き続いて左上から時計回りに…

①「近鉄特急-下-近畿・東海を結ぶ高速ネットワーク 最近の動向と車両のすべて」(JTBキャンブックス刊 田淵仁著 2004年6月初版)

②「近鉄特急‐上‐特急網の形成 70年の歴史と特急車両の変遷」(同、2004年4月初版)

③「カラーブックス 近鉄線各駅停車(Ⅱ)京都・橿原線」(保育社刊 徳永慶太郎著 1984年5月発行)

④「復刻版 私鉄の車両1 近畿日本鉄道Ⅰ特急車」(保育社刊 飯島巌・藤井信夫・井上広和著 2002年7月発行)

⑤「カラーブックス 日本の私鉄1 近鉄」(保育社刊 廣田尚敬・鹿島雅美著 1980年2月発行) です。

 
「18200系」が主に運用されたのは「京都・橿原線」、そして「大和八木駅(奈良県橿原市)」で接続する「大阪線」を経由、伊勢志摩方面へ向かう列車でした。
 
 
デビューは1966(昭和41)年11月。
翌月から新規設定された「京都〜伊勢(当時は宇治山田駅が終点だった)間」を直通する、通称「京伊特急(けいいとっきゅう)」一番列車にももちろん充当。出典③。
 
ただしこの頃、ホームグラウンドだった「京都・橿原線」は架線電圧が直流600V、車両規格も小型。対する「大阪線」は直流1500V、車両規格は戦前から大型と、規格がまったく異なるもので、これらを直通するために600V・1500V双方で運用可能な「複電圧装備」という特殊な機能を有するものでした。
 
 
加えて、車体幅や長さも「大阪線」の20m級に対して「京都・橿原線」のサイズに合わせた18m級とするなど、路線規格統一工事が進む過渡期ならではの装備がなされました。出典③。
 
 
車両のショットを見てみますと…
全線統一規格車両として、同年代に製造された大型車「12200系」では、車体の上部から徐々に裾が絞られていくのに対して…出典①。
 
 
「18200系」では裾絞りがない、車体の上半身からそのままストレートな形状です。出典①。
 
 
標準大型規格の車両(「10400系」エースカーでしょうか、奥)と「18200系」(手前)が併結された写真を見ますと、その違いは一目瞭然です。裾絞りのありなしを含めて、車体の大きさ、幅が全然違うことがよくわかります(赤い□内)。出典①。
 
わたしのような素人目には、さほど変わらないではないか?と感じるのですが、ところがどっこい、これほどまでに車体幅が違うと、大型車両の規格に合わせなければ、ホームを削ったり、架線柱を広げるなどしないと最悪、それらに接触してしまうおそれがあるようです。
これらは「建築限界」と呼ばれるものですが、その拡大には実にミリ単位での調整が必要なほどの、実に細密な作業が必要とされています。
 
 
さらに、この過渡期において「18200系」、そして「京伊特急」を語る上で欠かせないのが「新ノ口(にのくち)短絡線」です。出典③。

「京都・橿原線⇔大阪線」との直通運転を開始するに当たり、「大和八木駅」で立体交差していた両線の間を連絡することになりました。
 

ヤフー地図より。
運行開始当時、使用されたのは「橿原線 八木西口駅」の北側から西側(左方向)へ分岐、「大阪線」へつながる「八木西口短絡線」。

ですがこの経路、「橿原線⇔橿原線大和八木駅⇔八木西口駅で方向転換⇔八木西口短絡線⇔大阪線線路上で方向転換⇔大阪線大和八木駅⇔大阪線」という、実に回りくどいものでした。
それも、頻繁に列車が行き来する本線上で、2回もスイッチバック(列車の進行方向を替える)という大変な手間がかかり、運転保安上でも極めて問題のあるものでもありました。


それを解消すべく、1967(昭和42)年に新設されたのが「新ノ口短絡線」で、「18200系」を使用した「京伊特急」は「橿原線⇔新ノ口駅⇔新ノ口短絡線⇔大阪線大和八木駅⇔大阪線」というように、二度ものスイッチバックの手間なく、相互の路線を行き来出来るようになりました。
 
 
ただし、この時点では「京都・橿原線」は架線電圧が直流600V、「大阪線」は直流1500Vだったので、この短絡線の前後で架線電圧を切り替える必要がありました(橿原線が直流1500Vへ昇圧されたのは、さらに3年後の1969年)。
 
 
そして、橿原線の建築限界が拡大され、他路線と同様の大型車両の運用が可能になったのは1973(昭和48)年のこと。これにより、同線で使用される車両の制限はなくなります。出典①。
 
 
ということで、特殊な装備を用いた「18200系」はこれでお役御免か…とはならず1989(平成元)年まで、時には「名阪ノンストップ特急」にも充当されるなど、幅広く活躍を続けます。出典①。解説文は「18400系」ですが…
 
 
さらにその後も、団体専用車両「あおぞらⅡ」として改造が加えられ、2006(平成18)年まで、姿を変えて活躍し、廃車されました。
顧みますと、実に変化に富んだ生涯を送ったのだなとすら感じます。
毎度おなじみ「Wikipedia#近鉄18200系」より。
 
 
 
近年では、20m級の大型車両が、最大10両編成で運行されるという近鉄電車。いずれも鶴橋にて。
わたしなどの世代では、そのような大輸送の姿しか知り得ませんが、それに至るまでには、さまざまな経緯があったのだなと感じます。
 
そういったことで、昭和30~40年代にかけて展開された、近鉄電車の近代化に向けての過渡期をある種象徴した、特殊な条件に適合させるべく製造されたこの「18200系」、来冬の商品化が実に楽しみです。
おつきあいくださり、ありがとうございました。今日はこんなところです。