みなさんこんにちは。

 

 

先日(8月24日記事)に引き続き、またも「YouTube」より。 

若い頃からのかけがえのないわたしの心の支えロックシンガーソングライター「松阪晶子(まつざか・しょうこ)さん」についてです。


今日取り上げたいのは、9thシングル「願いが届くドア」(1995年12月13日リリース)です。

 

 

1993年6月のメジャーデビューから2年半が経過した頃。1st、2ndアルバムをリリースし、1995年4月18日には初ライブを渋谷公会堂で挙行。

 

 

以降は、平成初期のいわゆる「GIRL’s POP(ガールズポップ)」の一翼を担う存在となり、当時高校生だったわたしにとっては自分事のように心強い気持ちでしたし、タイアップされた数々の楽曲をTVCMやバラエティ番組などで度々耳にするにつけ、なによりうれしかったのをよく覚えています。


そんな中、晶子さんの楽曲の世界観も、1st、2ndアルバムを経て、次第に進化を遂げようとしつつありました。

その次の流れへの端緒となった(とわたしは思っていますが)この楽曲の持つ意味合いについて、今日は当時の音楽雑誌のインタビューから探ってみたいと思います。

 

 

松阪晶子が約8ヵ月ぶりのニュー・シングル「願いが届くドア」をリリースする。

デビューから約2年半。その間にフル・アルバムを2枚リリースし、4月には初のホール・コンサートも経験と、ひと段落ついた後でのシングル・リリースというわけだが、当の松阪晶子本人には、”ひと段落” 的な発想はまるでない様子だ。

「まわりのスタッフはすごいですよ。これからはああしよう、いや、こうしようって。でも、私は何も変わってないですね。

生活のテンポも同じだし。かえってノンキになってるかも知れない(笑)」

という彼女が用意してきた新曲は、いかにも彼女らしい前向きな応援歌ソング。



♫笑顔が自然なら、きっといいことが舞い込んで来る/君にしかできない大切なものは、自分らしくなったら魔法がかかる/

人を好きになったら、信じられないパワーを出せるー。

これらのポジティブなジンクス(?)を、彼女はいつ、どこで身につけたのだろうか。
 

「″笑顔″については両親でしょうね。うちの両親は芸人(注釈:父親が民謡の先生、母親が民謡の踊り手)なんですけど、″笑う門には福来たる″って、ずっと育てられてきましたから。

あと、人を好きになったらパワーが出るっていうのは、たとえば中学生くらいのときに先輩とかを好きになって、朝早くから学校に行って、校門の横で立ってるっていう、あれですよね。なんでこんなに眠いのに起きなきゃいけないんだあ!って思いつつ、わけもわからず行動してしまう。あのパワーがふだんから出せればって思いますよね(笑)」







――「あれはとがった松阪晶子の表現だ」と当時、その楽曲観のさまを自評した代表曲、4thシングル「燃える瞳を持ち続けて」(1994年5月11日リリース)。「銀座ジュエリーマキ・カメリアダイヤモンド」のTVCFに用いられ、スマッシュヒットとなった。同じく「YouTube」より。

 

 

――「燃える瞳を持ち続けて」を含む、デビュー前の下積み時代の苦悩のさまを、強力なエネルギーの塊(わたしの個人的な感想ですが)として発散、そして昇華させた1stアルバム「夢を眠らせない」(1994年6月17日リリース)。

聴き終わると「全力」「駆け抜ける」「力強さ」「達成感」という楽曲が詰まっている。

 

ところで、前述の発言のとおり、自分自身は何も変わっていないと語っていた松阪晶子だが、詞には微妙な変化が見られる。

 

これまで彼女の詞には、歌の主人公がなんらかの目標に向かってつねに全力疾走しているニュアンスが感じられるものが多かった。だが、そこには、誰にもまねのできない勢いがあった反面、当事者が当事者に向かって歌っているような″余白″のなさを感じさせる瞬間も同時に存在していた。良くも悪くも、そこが彼女の詞の特徴だったのである。

ところが今回の詞には、そうした全力疾走している他者もしくは自分を、これまでよりも一歩引いたところから、しかもフォーカスの位置を多少変更したうえで見つめている松阪晶子の姿がある。

「″願いが届くドア″を開けるためにはやっぱり精一杯の努力が必要なんですけど、それは当たり前のことですよね。あくまでも″前提″というか。そういう当たり前のことができていて、かつ自然な状態でいれば、きっとドアは開くだろうと。でも、それでダメだったらしょうがないんですよ。死にものぐるいで努力したうえなら、あとは開き直っちゃう。そうしないと次に進めないですしね」




当たり前のことだが、そうじゃなくなってしまうことが多い時代だからこそ、松阪晶子はこれまで、そうした″当たり前のこと″を丁寧に歌ってきた。だが、それらをあくまでも″前提″として扱いはじめたということは、彼女の表現者としてのステージが、次の段階に入りはじめたことの証だと思う。なお、直接的に書き込まれていないが、今回のシングルには、優しさや人を思いやる気持ちの大切さを伝えたいというテーマも込められているんだとか。

「″ノック″という言葉がキーワードなんです。最近、ドアをノックするという行為が忘れられてきているような気がするんですよ。

人に対する節度が欠けているというか、他人の心の中にズカズカと入ってくる人が多いというか。この曲を聴いて、優しい気持ちになってもらえたら、こんなに嬉しいことはないですね」

 


「願いが届くドア」のなかに″飛び込むことも出来なくて涙にじむなら、答えを焦らないで″」という一節がある。

この、ある種の母性すら感じさせる温かい視線は、これまでの彼女にはなかったものだ。
松阪晶子は、ひとりの女性としても成熟の度合いを増してきているようである。

(出典 「What's in」 1995年12月号より)

 

 

「全力疾走」(1stアルバム「夢を眠らせない」)→「恋から愛へ」(2ndアルバム「伝わりますか」)というように、アルバムごとのテーマが実に明確であった晶子さんの楽曲ですが、この「願いが届くドア」以降は、翌々年(1997年1月29日)にリリースされた3rdアルバム「花のかけら」へと、記事中で指摘されているような「豊かな人間性」や「優しさ」、あるいは「悠然さ」ということに、その主眼がフォーカスされて行ったように感じます。

 

 

ただし、前回の記事でも触れたのですが、晶子さんの楽曲の根底にはいつも「ありのままの自分で良い」というスタンスがあります。

それは例外なく、この楽曲、そして3rdアルバム「花のかけら」にも連綿と引き継がれて行くのですが、それに近づくに連れて「人への優しさと人を慮る慈愛」という要素がさらに深く加わります。その辺りについては、また別項にて…

 

今日はこんなところです。