みなさんこんにちは。前回からの続きです。
府内への自粛要請が解除されたら、いちばん行きたかった大阪城を先日、散策した際の様子をお送りしています。
「大阪城天守閣」の南東側に鎮座する、実に重厚なつくりの「ミライザ大阪城」という施設を続いて訪問しています。
1931(昭和6)年に竣工した、築90年に迫ろうかという、大阪でも貴重な昭和レトロの建造物です。
それでは、建物の中へ入ってみましょう。
「複合型商業施設」ということなので、自由に出入りすることが出来ます。
うわ~、これは豪華なシャンデリアです。
これは雰囲気があります。まるでホテルのようです。実に豪華な設えに、慣れていないがゆえに(笑)背筋が伸びそうです。
もともと、この建物は昭和天皇の即位を記念し、「旧陸軍第四師団司令部庁舎」として1931(昭和6)年に「大阪城天守閣」とともに、市民から寄せられた多額の寄付によって建設されたものです。
この建物がつくられた昭和初期、当時の大阪市は人口が200万人を突破し、東京市(当時)を超える「日本一の大都市」としてその名をとどろかせていました。
明治から昭和初期までの大阪を指し「大大阪時代(だいおおさかじだい)」と呼ばれるものですが、「旧陸軍第四師団司令部庁舎」として竣工したこの建物も、その大阪の華やかな時代を象徴するもののひとつとして知られています。
その時代に、大阪で建設されたものは「日本銀行大阪支店」(画像右の建物)。
大阪のメインストリート「御堂筋(みどうすじ)」もです。心斎橋付近にて。
また、「御堂筋」が「土佐堀川(とさぼりがわ)」を渡る「淀屋橋(よどやばし)」もそのひとつ。
そして先ほどの「大阪城天守閣」も、そのうちに含まれます(昭和6年再建)。
現在ではなかなか想像がつかないことですが、大阪は世界的な商業都市のひとつとして「東洋のマンチェスター」とも称された時代だったようです。
戦争が終わり、「大阪市警視庁(当時)→大阪府警本部→大阪市立博物館」と、あるじは次々と変遷しましたが、博物館が移転した後、耐震補強工事を中心としたリノベーションが全面的に施され、現在は「ミライザ大阪城」として、その美しい姿を今日でも拝見することが出来ます。
それでは、「大大阪時代」の豪奢な雰囲気をいまに残す館内を、いま少し探索してみたいと思います。
次回に続きます。
今日はこんなところです。