みなさんこんにちは。前回からの続きです。
おうちで楽しめることを探してみようということで、定番の(コテコテの?)大阪弁を、大阪人のはしくれであるわたしの、思いっきり主観でもって語ってみるということをしています。
出典は、こちらの「各駅停車全国歴史散歩28 大阪府」(大谷晃一著・河出書房新社刊 昭和55年1月初版 絶版)からです。
今日は「えげつない」からです。
最初から、本当にえげつない言葉です(苦笑)
う~ん、実はこれはちょっと解説するのが難しいように感じます。
冒頭には「同情心がない」とか「貪欲」というような記載がありますが、大阪弁でこれを使う時にはまず100%、マイナスの意味を指します。
非常に広い意味合いがあるとありますが、代表的な事例としてここで示されている「けちで心が汚い」というだけでは済まされないことで、
無遠慮、辛辣、スケベ…ともかく、一般的な規範と言いますか、社会通念上の理念から著しく逸脱している人や、その状況を指し示す(→それも、シチュエーションとしては「相手に聞こえないように、こそこそと眉をひそめて噂する」)ようなことでしょうか。
そういったことで「えげつない奴やな」、「えげつないな」と言うと、その前後の文脈にもよりますが、用例としては「金に異常にうるさい」とか「相手を必要以上にいびる」、「あくどい」、「腹黒い」、「けち」、「せこい」、「意地汚い」、「ひどい」など…いやはや、本当にいい意味ではありません(苦笑)
おもしろいのは、文末にあるように「脂濃い味」とか「ひどい味」のする料理に対して「えげつない味」と言うこともあります。
いわゆる「こんなもん食えるかい!」です。
つまりは「総スカン」の状態、どう転んでも受容や理解すら出来ないという意味合いが非常に濃いものです。
続いては「けったい」です。
先ほどの「えげつない」の料理の味の例で「えげつない味」という用例を述べましたが、こちらでも「けったいな味」などと言うことがあります。
ただしネガティブな面は「えげつない」からは相当弱まり、「理解することは難しいけど、自分の知らないこういったこともあるんやなあ」という意味合いもあります。さまざまな見方を受容したり、ほお~っと感心出来るという、オープンマインドな意味合いです。
例えば、いま若者に人気の「タピオカドリンク」を、まったく見たことも飲んだこともない高齢者が試しに味わってみた時の率直な感想、とでも言いましょうか。
「けったいなもんやなあ」とか「けったいな味やなあ(→しかし、こんな飲み物食べ物もあるんやなあ、若者には人気やとは知らんかったわ。勉強になったわ)」というところだと思えます。例え方が適切かどうか分かりませんが…
(用法の違い)
「うわっ、これ…えげつない味やな…(絶句)」
「ん?なんかこれ、けったいな味しよるなあ(不思議な表情をしながら)」
というような違いでしょうか。
「けったい」の方が、経験したことない味やけどまだ受容は出来るわと余地がある表現です。
もともとは「奇妙な」「不思議な」「変な」という意味合いですが、社会通念に反するような悪意があるではなく、それゆえ「排除の論理」に基づくような、排他的なものではありません。親戚に居る、一風変わったおっちゃんなどに対して「あのおっちゃんは昔からちょっとけったいやからねえ(→でも本当は気のいい人やしねえ)」などと、解説にあるように「親愛の情」を込めて言う時もあります。
そして「しやはる」です。
「しゃはる」「しはる」「してはる」「したはる」とも言いますが、大阪弁ではいちばん身近な尊敬語です。
それゆえ、親愛の情に満ち溢れた、大阪弁を代表する言葉だとわたしは思っています。
「家に来はる」「勉強しゃはる」「お商売しゃはる」など、敬語をわざわざ使う必要のない場合にもこれを使わない方が、どちらかと言うと「けったいな」感じに受け取られることすらあります。これも、大阪人独特の「親愛の情」の現れでしょうか。ただし、いまは身内に対して使うところはあまり見ません。
余談ですが、大阪弁の中でもちょっと違いがあり、全国的にきつい、怖いと有名な?「河内弁」(わたしの主言語ですが)になると、目下の人物に対して言う時には「家に来よる(きよる、きょる、きとる)」「勉強しよる(しょる、しとる)」「商売しよる(しょる、しとる)」になることが多いように感じます。
大阪市内ではあまりこれは聞きません。
個人的な見解ですが、泥棒に入られたことに対して「泥棒さんがおうちに入りはって」とは、あまり聞きません。京都に近い方面では、昔は使う向きもあったようですが…
次回に続きます。
今日はこんなところです。