おうちで楽しむ 懐かしの「京阪特急 旧3000系テレビカー」の思い出 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。

 

 

先日に引き続きまして、自宅で楽しめるものをということで、こないだこちらをネットで見つけました。 

 

 

「デアゴスティーニ」から隔週で発行されている「鉄道 ザ・ラストラン」シリーズ。 

本編には詳しい解説と、付属にはDVDがあり、ダブルで楽しめるというものです。

 

 

この号の主題は「最後のテレビカー 京阪旧3000系特急車」 でした。

 

幼少の頃から憧れの特急車両です。

今日は、個人的な思い出を交えながら項を進めたいと思います。

 

 

「京阪電車旧3000系」は、1971(昭和46)年から登場した、京阪電車では第4代目の特急専用車両です。

惜しまれながら、2013(平成25)年春に、最後まで残った1編成が勇退しました。

 

 

この車両、登場した当時は「旧国鉄(現在のJR西日本)・阪急電車」と、競合激しい京阪間の旅客輸送において「全車冷房」「転換式クロスシート」を備え…

「京阪特急」の伝統である「テレビカー」も、この系列からいよいよ「カラーテレビ」が搭載されるなど、それまでにない居住性の高さが大変な人気を博し、サービスの点で、先のライバル2社に大きな差を付けました。

 

 

いまはなき、鴨川沿いを北上する「旧3000系」。地上線時代の七条~五条間にて。

登場からおよそ20年以上にわたり、京阪電車の看板車両として活躍を続けて来ました。

 

 

現在でこそ、京阪特急は途中駅に停車するものというイメージが浸透していますが、平成の最初頃までは「京阪間ノンストップ運転」が終日にわたり行われており、整然と並んだ茶色ストライプ柄のゆったりとした座席がものすごく豪華な設えで、さらに普段はなかなか乗車することが出来ないこともあり、なおのこと憧れの存在でした。

 

自分が子どもだったから余計にそう感じたのでしょうが… 

 

 

平成に入り、「鴨東線(おうとうせん)」の開業(1989年10月)に合わせ、次代の「8000系特急車」が投入されました。淀屋橋にて。

 

バブル期の登場ということもあり「旧3000系」をさらに凌ぐ豪華な装備で、たちまち大変な人気になり、これに乗りたい乗客が、わざわざ「旧3000系」の列車に乗らず、次の列車をホームで待つという光景が見られるほどでした(わたしもでした)。 

 

 

「8000系特急車」の増備が進められるとともに「旧3000系」は廃車が進み、残された最後の1編成が「8000系」と同様の設備にリニューアルした上で「8000系30番台」に編入され、活躍を続けることとなります。

 

 

ところで、この形式が「旧3000系」や「初代3000系」と呼ばれる所以は、大阪市内中心部を東西に貫く新線「中之島線」の開業(2008年10月)に合わせて導入された、この「2代目3000系」に車番を譲るためでした。

 

現在では「8000系」とともに京阪特急の主力として活躍しています。淀屋橋にて。

 

 

「8000系」編入後の姿。見た目は「旧3000系」のままですが、車番は「8531」。樟葉にて。 

 

 

2012(平成24)年、ついに「旧3000系」の引退が発表され、それを期して、車両正面の顔は昭和40年代に登場した時の姿に近づけるべく、車番も含めて復元されました。

「3505」号車こと「8531」号車、樟葉にて。


「クラシックタイプ」と呼ばれるものでしたが、わたしなどはこの姿の方がなじみがありましたので、懐かしいなあと、暇があればこれを追いかけていました。

 

 

そして、迎えたラストラン。三条にて。

2013(平成25)年3月に運転された、この「臨時快速特急」を最後に、勇退しました。 

 

この勇退と同時に、1954(昭和29)年から親しまれた「テレビカー」は、惜しまれながら京阪特急から姿を消しました。

 

 

「テレビカー」について、いま少し補足を。

この「3000系」には、一部の乗務員室の扉の真上に「カラーテレビ」が設置されていました(画像は復元されたもの)。

 

先ほども冒頭で触れましたが、この「旧3000系」が登場した当時は、カラーテレビが家庭に普及し始めた頃だと言います。

さらに、テレビ自体も「一家に一台」というのが当たり前でしたし、駅の売店で買った缶ビールやおつまみで一杯やりながら、冷房の効いたテレビカーでプロ野球中継(主に阪神戦だったようですが)を観ながら楽しめる…当時としては、最高の娯楽!だったに違いありません。

 

 

普段は「NHK大阪総合」に合わせていたとのことですが、「チャンネル権」は乗客にあったそうで、乗客が車掌さんに頼んで、民放のプロ野球中継に替えて貰うことが多々あったそうです。

 

 

 

その「旧3000系」ですが、勇退後は、最後まで残った京都方の先頭車両が1両、沿線にオープンした京阪の商業施設「くずはモール」内にある「sanzen-hiroba(さんぜんひろば)」で、登場した当時の姿に復元され、保存されています(先ほどの写真にあった「クラシックタイプ」の「3505」号車です)。

 

 

 

そういったことで、個人的に大変憧れの存在だった「旧3000系」について、この機会に取り上げました。

「かつては京阪間ノンストップ」という話しをしましたが、子どもの頃は「親に連れられ京都に行くこと=旧3000系特急車に乗れること」でしたし、ノンストップで遠いところへ行くのだなとも感じていましたから、本当にわくわくしたものです。小さい頃の、いい思い出です。

 

 

付属のDVDも、貴重なショットがあったりして個人的には大変楽しめました。

出来れば、保存されている「sanzen-hiroba」へも久々に行ってみたいものです…

 

今日はこんなところです。