近鉄特急で令和最初の伊勢志摩を巡る その27 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「近鉄特急で令和最初の伊勢志摩を巡る」と題したひとり旅、いよいよ佳境に入って参りました。

 

 

 

ただいま「賢島駅(かしこじまえき、三重県志摩市)」です。

 

いよいよ、近鉄が誇る豪華観光特急「しまかぜ」で帰阪しようかというところです。 

ただし、16時ちょうどの発車まではしばし時間がありますので、周辺をぶらぶらしてみます。

 

 

こちらが「賢島駅」の正面口。

駅近くに点在しているリゾートホテルに近く、送迎のシャトルバスが停まっていました。 

 

 

その反対側には、「近鉄志摩線」の前身、「志摩電気鉄道」以来のモダンな駅舎(左側)が残る、「賢島港」に近い出入口があります。 

 

 

 

静かな駅前には、名産の真珠を扱うお店がいくつか並んでいました。

少し、散策してみようと思います。 

 

 

では、この風光明媚な「賢島」については…

「各駅停車全国歴史散歩21 三重県」(中日新聞三重総局編・河出書房新社刊 昭和56年10月初版 絶版)から拾ってみます。 

 

 

離れ島に別荘、ホテルの群 賢島

 

昔、無人島、今、国際観光基地

  年間乗降客約八〇万人、モダンな駅舎の賢島駅周辺には、ホテル群が建ち並び、別荘団地が開発されるなど国際的な観光基地として、近年その発展は目覚ましい。

しかし、もとは神明村(しんめいむら)の一無人島で、幾らかの田畑のほかはほとんど松林で、賢島駅の辺りも大正末期までは海だったという。

 

 

いま賢島を訪れて、英虞湾(あごわん)に浮かぶ離れ島だということに気付く人は少ない。

 

郷土史家の中村精貳氏は、鉄橋下から干潮時に歩いて渡ることができたところから、昔、「カチコエ山(注釈:徒越山、でしょうか)」と呼ばれ、転訛して「カシコ山」「賢島」となったと考察している。

 

 

志摩電気鉄道開設当時、対岸の布施田から移住、賢島港で真珠商を営む松井雄策さん、たかさん夫妻は「ほんとに開けてきたのは戦後のこと。それまでは真珠屋も二軒、別荘を除くと住んでいるのは一〇軒ぐらいだった」と話す。

 

行幸に輝く志摩

  賢島大橋のそばに建つ志摩観光ホテルは、昭和二六年四月の開業。わが国有数のリゾートホテルとして知られ、創業時の客室二五室、定員四八人が、現在は二〇〇室、三九一人に。また賢島荘など五つの旅館を翼下に抱えている。

 

同ホテルには、天皇陛下(注釈:昭和天皇)が昭和二六年一一月に二泊されたのをはじめ、五六年五月までに皇后陛下とおそろいなどで、あわせて五回賢島をお訪ねになっており「色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島」のお歌がある。

 

 

賢島駅から一〇〇㍍の賢島港は、英虞湾めぐり観光客の基地で、近鉄志摩観光汽船の外輪船ビクトリア号(一六五㌧)などが就航、真珠養殖いかだを縫って一時間の船旅は人気がある。

 

また夏場は対岸の御座白浜に渡る海水浴客でにぎわう。(後略、出典同 P220-221)

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。