みなさんこんにちは。前回からの続きです。
初秋の頃、頂いた連休で福岡県、筑前・筑後地方をひとり旅した際の様子をお送りしています。
ただいま「姪浜駅(めいのはまえき、福岡市西区)」に居ます。
福岡市を東西に結ぶ大動脈「福岡市地下鉄空港線」と、近年、福岡市のベッドタウンとしての性格が濃い「糸島市(いとしまし)」を経由し、県境を越えた「西唐津(にしからつ、佐賀県唐津市)」までを結ぶ「JR九州 筑肥線(ちくひせん)」との境界駅です。
前回の記事でも触れましたが、この両線は相互乗り入れを行っており、広域な鉄道ネットワークが形成されています。
ところで、現在は「地下鉄空港線」が担っている、ここ「姪浜駅」から福岡都心部へのアクセスですが、かつてはJRの前身、旧国鉄が昭和58(1983)年3月の地下鉄開業まで、「筑肥線」がそのまま「博多駅(同博多区)」まで直接乗り入れを行っていました。
この経緯については、前回までの記事で詳しく触れた次第です。
旧国鉄時代は、市街地を避けた踏み切りの連続する急カーブの路線で、さらに単線でディーゼルカーが走っていたということですが、沿線の急激な開発で、そのローカルなイメージは一気に払拭されたと言います。
(出典「各駅停車全国歴史散歩41 福岡県」 西日本新聞社編 河出書房新社刊 昭和54年11月初版 絶版)
今日は、その「旧国鉄時代」の「筑肥線」のダイヤと、現在のそれとをあれこれ比較して、項を進めて行きたいと思います。
まずは「国鉄監修 交通公社の時刻表」 昭和54年3月号、その「筑肥線」のページを繰ってみます。
地下鉄の開業による「博多~姪浜間」廃止の4年前のものですが、地下鉄の路線となった現在では、朝夕のラッシュ時には3~4分間隔、日中も7~8分間隔での運行が行われているのですが、この当時、一日の列車がわずか1ページに収まってしまうほどの列車本数しかなかったことに驚きます。
「博多~姪浜間」は「11.7km」、ディーゼルカーの普通列車では20分ちょっとかかっていたことがわかります(現在の地下鉄経由でも、ほぼ同じ所要時間)。
しかし、博多発の始発列車は「6時28分発」。その後は「7時33分発」、「8時30分発」、「9時20分発」と、なんと約1時間間隔での運転です。現在の繁栄ぶりを鑑みますと、まったく想像もつかないようなダイヤグラムです。
そして目が留まるのは、「博多駅」から朝の8時台に「平戸」、続行して臨時の「平戸51号」という急行列車が運転されていたことでしょうか。
この「姪浜駅」にも停車する、「筑肥線」では唯一の優等列車でした。
この「平戸」号、列車名称になっているように、西九州の名勝「平戸」方面を経由する列車でした。
「筑肥線」を走破し、県境を越えた「伊万里駅(佐賀県伊万里市)」からは、佐賀・長崎両県にまたがる「松浦線(まつうらせん)」へ。
線内では「松浦(長崎県松浦市)」「平戸口(同平戸市)」「佐々(同北松浦郡佐々町)」といった沿線の主要駅に停車し、「佐世保駅(長崎県佐世保市)」からは「大村線」「長崎本線」を経由して「長崎駅」へと至る、実に大回りの列車でした。
博多発の「平戸」は、「長崎駅」までの所要時間は5時間半に近くになるという、こちらも現在ではそうそうない「長距離列車」だったようです。
「JTB時刻表 2019年3月号」より。
「旧国鉄松浦線」は、分割民営化後の昭和63(1988)年4月に第三セクター「松浦鉄道 西九州線」へと移管され、現在に至っています。
先ほどの「急行平戸」も、筑肥線の地下鉄乗り入れ時(昭和58年3月)に運行区間が「唐津~長崎間」に短縮され、その「松浦鉄道」転換時に列車自体が廃止されてしまいました。
余談ですが、左下に「ハウステンボス」の文字も見えますが、博多駅からこのようなルートで、ついぞそんなところまで直通列車があったのかと感心します(「ハウステンボス」のオープンは「平成4年」だとのことですが)。
そして現在の「筑肥線」と「地下鉄空港線」の時刻表。先ほどの旧国鉄時代とは比べ物にならぬほど、たくさんの列車が設定されていることがわかります。
それも、ここに掲載されているのは「地下鉄⇔JR乗り入れ列車」が主で、頻発している「地下鉄線内」のみの列車は含まれていません。
複雑な変遷を経た「筑肥線」と、「地下鉄空港線」建設についての経緯をあれこれと調べて来た次第ですが、それほどこの沿線の開発度というのはすごいものがあったのだなと感じます。福岡市も、その周辺の自治体の発展も、この路線網が大きく寄与したのだなとも思えます。
次回に続きます。
今日はこんなところです。