手元の人気鉄道模型「鉄道コレクション」を愛でながらあれこれ語るというシリーズを連日にわたってお送りしています。


















本日取り上げますのは、前回に続き「ブラインドパッケージ(開封するまでどの車種が封入されているかわからない)」の第21弾で発売された…

こちらの「北陸鉄道モハ8802・モハ8812号車」です。
果たして、どのような車両なのでしょうか。

と言いますか、実はモデルになったこちらの車両には実際に乗車したことがありました。
こちらは「JR金沢駅」に隣接する、地下の「北鉄金沢駅(石川県金沢市)」に停車する、モデルになった「8000系(8800番台)」車両です。

正面顔は大きな二枚窓、いわゆる「湘南窓」という顔つき。
そしてその上半分がサーモンピンクに彩られた、実におしゃれな電車です。
この「8000系」はもともとは「京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)井の頭線」で使用されていた「3000系」という車両が種車で、平成8(1996)年と平成10(1998)年の二回に分けて投入され、従来の旧型車両をすべて置き換えたという経緯があります。

この「8000系」を使用する「北鉄浅野川線」はその「北鉄金沢駅」を起点に、能登半島の入り口に当たる海沿いの「内灘駅(同河北郡内灘町)」までの12駅、6.8kmを結ぶ、小さな路線です。
のんびりとした、いい乗り鉄だったことを覚えています。

では、この「8000系(8800番台)」2両を観察してみたいと思います。
北鉄の「8000系」には2種類の分類があって「車体幅が狭い・客用扉が片開き扉式(8800番台)」・「車体幅が広い・客用扉が両開き式(8900番台)」というように、車体構造によって同じ形式でも、番台が区分されているのが特徴です。モデルになっているのは前者です。

「8800番台」の車内。大きい片開き扉が目に留まります。

これを正面から。冒頭でも触れたように、運転台には視界の利く大きな二枚窓が設けられています。この形式の最大の特徴のひとつです。
そして、床下には大きなスノープラウ(排雪器)。
「降雪地帯を走る」ということで、京王帝都時代にはなかった装備です。
こちらも、大きな特徴のひとつでしょうか。

パンタグラフのついているこの車両が「モハ8802号車」です。
正面顔のサーモンピンクが、側面にも帯で回り込んでいるのがいいアクセントになっています。

側面から。「東急車輛製造」の手による「オールステンレスカー」です。
同時期に同社で製造されたステンレスカーの特徴である、側面腰下に波状の「コルゲート板」がやはり設けられています。
この車両、もともとは「京王帝都電鉄(当時)3000系」だったとは先ほども触れた通りですが、北鉄へ譲渡されたこの「片開き式扉」の車両は、京王帝都で昭和37(1962)年から登場した初期車に相当します(以降は「両開き式扉」仕様となった)。

京王帝都から北陸鉄道への譲渡に際し、さまざまな改造が加えられました。
もともとの先頭車両にはモーターがついていなかったので、電動車改造が施された他、こまかなところで種車の仕様と異なる点が散見されます。
気になったのは、運転室後方に設けられた小さな行先表示器(赤い□)。

実車ではこんな感じでした。
これほど小さなサイズのものはあまり見たことがありません。

それから、客用扉を半自動にするための取り扱いボタンの設置(青い□)などに気がついたのですが、京王帝都時代の名残でしょうか、側面、屋根の真下に「急行」などの種別票差し(赤い□)が残っています。

続いては車端部。パンタグラフにどっしりとした感を受けます。

そして、パンタグラフのないこちらが「モハ8812号車」。
パンタグラフは設けられていないのですが、2両編成ということでこちらにもモーターがついています。2両など短編成の場合、一方のモーターが故障した際には片方のそれを使用出来るよう、どちらの車両にもモーターがつけられているケースが多く見られます。

そして妻面です。広い開口部の貫通路、屋上からの配線もばっちり再現されています。こういった再現具合にはうれしいものがあります。

簡単ではありますが、東京から北陸・金沢へ移り「第二の人生」を送っている「8000系(8800番台)」を観察してみました。
モデルになったこの「片開き式扉」の車両、記事中でも触れたように、製造初年が昭和37(1962)年ということなのですが、当時最先端だった「オールステンレスカー」として製造されたゆえ、製造から50年以上経った今日でもその経年というのは、実際に乗車してみても感じませんでした。
種車となった「京王帝都3000系」車両、この北陸鉄道の他にも、数多くの中小私鉄に譲渡されており、今後もその活躍は見られそうです。
今日はこんなところです。