手元の人気鉄道模型「鉄道コレクション」を愛でながらあれこれ語るというシリーズを連日にわたってお送りしています。

さて、今日取り上げるのはこの「南海3000系(改造車)3両セット」です。

さっそく、パッケージを開けたところの解説から。

その解説を読んで行きますと…
「大阪府都市開発株式会社(現・泉北高速鉄道株式会社)が東急車輛製造株式会社にて製造した形式である」というくだりがあります。と言いますと…

この「南海3000系」という車両、前回の記事で取り上げました「泉北高速3000系」とまったく同じ車両、形式というのです。
もともとの所属先だった「泉北高速」で余剰になった車両を「高野線」と相互乗り入れしている南海が購入、中間車両を先頭車両に改造した上で、同社の「3000系」として再デビューさせたものです。
そういうことで、現在は南海・泉北高速ともに「同一車体・同一形式」の「3000系」が走行していることになります。

しかし、相互乗り入れしている会社間で同じ形式が存在しているというのは車両運用上、なかなかややこしいのでは…?などと思ったのですが、南海に譲渡された編成は「泉北高速」が相互乗り入れしている「南海高野線」ではなく、和歌山へ向かう「南海本線」での運用がなされているそうです。

「高野線」の列車別停車駅案内図。「なんば駅(大阪市中央区)」にて。
前回の記事でも少し触れたのですが、相互乗り入れしている「泉北高速」は「高野線」の「中百舌鳥駅(堺市北区)」から南へ分岐、堺市・和泉市にまたがる「泉北ニュータウン」に向かって路線が敷設されているのですが「高野線」はその名の通り「霊峰・高野山」へ向かって路線を延ばしています。
そういうことで、路線も中盤を過ぎた「河内長野駅」や「三日市町駅」(いずれも大阪府河内長野市)からは「高野線」は勾配の多い山岳地帯へと入って行くことから、平坦線での仕様になっているこの車両を「高野線」で使用するとなると運用になにかと支障が出るために「高野線」と比べて勾配の少ない「南海本線」での運用がなされることになったとのこと(「20m級車両」が入線出来るのは「橋本駅(和歌山県橋本市)」までで、以遠は「17m級4両」しか入線出来ない)。

さまざまな事情で「乗り入れ先」として長年走りなれた「高野線」ではなく海沿いに路線を延ばす「南海本線」への転属となったこの「3000系」です。

では、この「3000系3両セット」を見て参りたいと思います。
まずは先頭車両の「Tc3550」から(Tc=モーターなしの運転台つき車両)。

前回の記事で取り上げました「泉北高速」の「Tc3550」とは同じ仕様です。
どちらも余剰になった中間車両を運転台つき先頭車両に改造したものです。

「泉北高速」時代には正面の貫通扉に、コーポレートカラーのブルーがあしらわれていたのですが、会社が違うのでもちろん塗装も異なります。
ブルー、イエローという南海の通勤車両仕様の塗装が施されています。

ところで、こちらは前回も記事で載せました、登場直後の原形の姿の「泉北高速3000系」。なんばにて。
オデコに当たる位置の左右には車番と社章が貼り付けられていたのですが…

南海車となったパッケージの写真を改めて観察してみますと、これらを上塗りして消した跡がうっすらと残っているではないですか。これは興味深いものです(左上には車番、右上には社章があった)。

その「Tc3550」を側面から。20m級4扉、腰下にコルゲート板(波板)とは泉北高速が乗り入れ先の南海車両に合わせたデザインです。

運転台側を拡大。コルゲート板の上には「NANKAI」の文字があしらわれていますが、もともとはやはり「SEMBOKU」と描かれているものでした。
屋根下のコーポレートカラーが、運転台の直前で腰下に降りたデザインが特徴でしょうか。

続いては、3両セットの中間車両に当たる2両を見てみます。

これらの連結面です。「中間車両」とは言うものの、両方とも運転台が設けられているタイプですが、通常では先頭に出ない仕様になっています。

2丁のパンタグラフが設けられているのが「Mc3550(Mc=モーター・運転台ともについている車両)」。
先日の「泉北3000系」の記事でも触れましたが、パンタグラフの位置が車端部から結構深い位置に設けられているさまがよくわかります。

もう1両は「Tc3000(Tc=モーターなしの運転台つき車両)」。
前回の「泉北高速」ともども「中間車両を先頭車両に改造した」という今回のセットなのですが、この「Tc3000」は登場からその手の改造がなされていない「純然たる先頭車両」です。ただし、今回の改造・編成の組み換えに伴って「中間車両」となったものです。

これら「Mc3550(左)」と「Tc3000(右)」を並べて見ますと…
繰り返しになりますが、普段は先頭に出ない中間車両になったということで
運転台側の塗装がまったく省略されていますし、Tcの方では、ヘッドライトの下部に桟が設けられていたりと、こまかい差異を見つけられたりします。
「先頭車両とは異なる様相の中間車両同士の並び」ということで、模型とはいえど、なかなか興味深い光景を見ることが出来ました。

今度は先頭車となった「Tc3550」と。だいぶ印象が異なります。

ところで、この3両を並べてみますと…
先頭車両として組成されている「Tc3550(手前)」と中間車両の「Tc3000(奥)」、ブルーとイエローの塗装の具合が、同じ運転台つき車両でも「先頭か中間か」ということで異なっているのに気づきます。
「運転台つき車両」でも「中間車両」として組成されているので、この車両にも「運転台のついていない中間車両」と同様の塗装が施されていて、他の中間車両との塗装の一貫性が保たれているのが窺えます。

さらに、この3両をさらに観察してみますと気づくことが。
「乗務員室直後の窓スペースの差異」です。まずは「Tc3550」。
「中間車両から改造された運転台つき車両」ですが、長細い小窓がひとつ。

続いては「Mc3550」。こちらも「中間車両から改造された運転台つき車両」ですが、乗務員室の直後には窓がありません。
かつて「SEMBOKU」のエンブレムが掲げられていたコルゲートの上板にも南海ストライプの塗装が施されているのがわかります。

そして「Tc3000」。窓は正方形の大きなものが取り付けられています。
こちらは、先ほども触れたように製造時から先頭車両だったタイプのものということで、そもそもの窓配置はこの形状だったことがわかります。

妻面も拝見。ステンレス製ということもあってでしょうか、配管の類はなくすっきりした形状です。

最後に、付属のステッカーを見てみます。

「南海本線」へ移管されたということで、それに即した「関西空港・和歌山市」といった行き先のものが中心でした。
正面の方向幕は、ちょうどオデコの真上に表示される大型のタイプです。

そういったことで、なかなか複雑な経緯を経て、数奇な「第二の人生」を送ることとなった「南海3000系」について取り上げて来ました。
「大手民鉄が車両の譲渡を受ける」という事例(この場合はさらに「自社の子会社から車両の譲渡を受ける」)は実にレアなことだと思うのですが、この形式の場合はもともと路線が相互乗り入れしている、また、もともとの車両も南海車両を範にして建造されたということもあってでしょうか、まったく別物の車両がやって来たという感はあまりないように思えます。
通いなれた乗り入れ先の「高野線」ではなく、同じ会社でもまったく路線の性格が異なる「南海本線」で活躍することになったこの「3000系」、第二の活躍が注視されます。
今日はこんなところです。