鉄道コレクション「泉北高速鉄道3000系(改造車)2両セット」を細見する | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。今日の話題です。
手元の人気鉄道模型シリーズ「鉄道コレクション」を愛でながらあれこれ語るという記事をお送りしています。

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さて、本日取り上げるのは「泉北高速鉄道3000系(改造車)2両セット」です。青いラインが目を引きますが、どのような車両なのでしょうか。

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「泉北高速鉄道」は大阪市の南部、堺市・和泉市に跨る「泉北ニュータウン」の重要な交通手段として、昭和46(1971)年に最初の区間が開業した鉄道です。ニュータウンの中心部を抜け、「中百舌鳥駅(なかもずえき、堺市北区)」からは「南海高野線」に乗り入れており、大阪の南の玄関口「なんば駅(大阪市中央区)」へ直通運転が行われている路線です。

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さっそく、パッケージ裏面には解説。

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現在は相互乗り入れしている「南海電鉄」の子会社となっている「泉北高速鉄道」ですが、開業当初は「大阪府都市開発株式会社」という、大阪府が中心に出資した「第三セクター方式(半官半民)」の会社でした。

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そういった事情で当時、泉北高速鉄道では車両を建造する際、解説にもあるように複数の製造会社からの入札制度を経る必要があったようですが、この3000系、乗り入れ先の「南海6200系」という形式と構造がほぼ同一であったのにも関わらず、6200系の躯体が東急車輛の特許だった「オールステンレス製」なのに対し、特許に拠らない「セミステンレス製」として車体は計画されたのは、他の製造会社の入札を考慮したものだったようです(南海は私企業なので、随意の製造会社に車輛製造の発注が出来た)

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「泉北高速3000系」のモデルとなった「南海6200系」、新今宮にて。
「3000系」は最終的にはその「6200系」と同じ「東急車輛」の手によって製造されることになるのですが、これはなかなか興味深い経緯です。

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そういったことで、開業から現在に至るまで、この南海と泉北高速とは深い関係にあります。この商品は「泉北高速鉄道」が「南海」の子会社になった際(平成26年7月)の記念グッズのひとつとして発売されたものです。

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解説には、他にも興味深い記述もありました。

「南海高野線」への乗り入れ区間は、泉北高速の北の終点「中百舌鳥駅」から「なんば駅」までなのですが、車両運用が乗り入れ先の南海と共通化されていた時期があったそうで、本来の相互乗り入れ区間以外の「高野線」にも乗り入れしていたとのこと(それも、河内長野・三日市町駅などと高野線の長い距離にわたって)。こちらも興味深いエピソードです。

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前置きが長くなりましたが、それでは実車を細見してみたいと思います。

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まず、パンタグラフが2丁なのは「Mc3550」。
「Mc」とは「モーター、運転台のついている車両」の意です。

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乗り入れ先の南海車両に合わせた、20m級の車体です。個人的な所感ですが「先頭車両の2丁パンタ」というのは凛々しい感じがして実に萌えます(!)

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運転室側を拡大。コーポレートカラーのブルーが、シルバー車体に映えます。車体腰下のコルゲート板は、乗り入れしている南海車両にも見られるものですが、気になるのがパンタグラフの位置でしょうか。

通常であれば運転室の真後ろあたりに設けられているのですが、クーラー位置の関係なのでしょうか、最初の客用扉と客用窓にかかる、結構奥まった場所に設けられています。

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妻面(つまめん、運転室と反対側の連結面)側でもご覧の通り。
客用窓2つ分からさらに奥、客用扉の真上にパンタグラフがあります。

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俯瞰してみますと、そのパンタ位置の深さがよくわかります。

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これを正面から。先ほども触れましたが、こちらには幌があります。
貫通扉には、こちらにもコーポレートカラーのブルーがあしらわれているのが特徴でしょうか。
実車ではオデコの右側に社章、左側には車番が取り付けられています(車番は付属のステッカー。貼っていないのでここではなしです)。

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続いては「Tc3550(Tc=モーターなしの運転台つき車両)」。

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これを正面から。こちらにはパンタグラフ、貫通扉の幌がついていないこともあり、すっきりとした印象です。

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これらを並べて。幌のありなしで表情がだいぶ違って来ます。

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ところで、ここまで細見していて気付いたのですが、セットになっているこの2両、窓配置が大きく違っています。
「Mc3550(奥側)」では「運転室の直後に客用扉(赤い□)
「Tc3550(手前側)」では「運転室の直後に長細い客用窓~客用扉(黒い□)

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妻面側(運転台がついていない連結面側)でも。
奥の「Mc3550」は「客用窓2枚」手前の「Tc3550」は「客用窓1枚」

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解説を再度見てみますと、6両の固定編成だった中間車両を抜き取り先頭車両に改造したというくだりがあります。どうりで窓配置が異なる訳です。

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こちらは、登場直後の姿を残す原型の「3000系」。なんばにて。
そもそもの原型は「運転室の直後に正方形の客用窓~客用扉」だったことがわかります
(出典「日本の私鉄9 南海(南海電気鉄道車両部・井上広和共著 保育社刊 昭和56年10月初版発行)」より)

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妻面を見てみます。配管の類の姿はなく、シルバー単色ということもあって実にすっきりした印象です。

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続いて屋根上。
冷房装置は四基にまとめられていて、こちらもまとまった感を受けます。

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最後に、付属のステッカーを拝見。

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「泉北高速鉄道線内」と、相互乗り入れしている「南海高野線」の区間に応じた方向幕が収録されていました。
最初の方で「南海と車両運用が共通化されていた時期があった」と触れましたが、本来の乗り入れ区間外のもの(北野田、河内長野、三日市町など)は見当たらず。収録されていれば興味深いなあと思えるのですが。

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ということで、最初の車両の登場から40年を経た「泉北高速鉄道3000系」をあれこれと見て来ました。わたしにとってはあまり利用する機会のない「泉北高速鉄道」ですが、車体にあしらわれた斬新な青のラインの車両、乗り入れ先の南海線内で見るにつけ、かつて高野線の車両の多くが「シルバー単色」だったこともあってでしょうか、大変よいアクセントになっているように感じます。

今回もまた、調べるにつれ興味深い経緯を知ることの出来た車両でした。
今日はこんなところです。