阪和電気鉄道 昭和初期の面影 その37 「企画展 昭和の一大観光地砂川」と「砂川遊園・砂川奇勝」 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。
タイトルのように、府内南部の「泉南市(せんなんし)埋蔵文化財センター」で催されている「企画展 昭和の一大観光地砂川(すながわ)」などを拝見しようかと、先日出かけた際の様子をお送りしています。

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さて、自宅を出ること休憩をはさみクルマで1時間半ほどだったでしょうか。
山あいにある、この「泉南市埋蔵文化財センター」に無事到着しました。
空を見ますとまだ雲は多いのですが、徐々に青空が見えて来たところです。

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さっそく館内へ。目的の企画展が気になるのですが、その前に…
こちらの埋蔵文化財センターが建っている場所には、かつて「海会寺(かいえじ)」という大規模な寺院がありました。

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建物に入る前、その反対側にあった、うっそうと木々が繁る公園がその跡地だとのこと。

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寺院が建立されたのは「7世紀中頃から後半」ということで、建物の類は一切現存していないのですが、最近に至るまで敷地を掘り返したり、跡地に別の開発がなされなかったということで、遺跡としては保存状態が抜群にいいのだそうです。

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金堂跡を中心とした伽藍の配置。専門知識のないわたしにしても、こうして案内板を見ますと、結構大規模な寺院だったことが窺い知れます。

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その「海会寺跡」で発掘される文化財が、ここで多く展示されていました。
まずは、企画展の前にこちらから拝見して行こうかと思います。

ちなみに、この寺跡で発掘された文化財302点は一括して「国重要文化財」に指定されているのだとのこと。
学芸員さんによると、こういった指定の方法は大変珍しいことだそうです。
太っ腹?なことに、展示されているのはすべて「本物」。
さらに、館内は写真撮影自由でした。

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館内にあったこの「海会寺」に関するパネルを見ていますと…

寺院の根幹を成す「金堂」の建設がはじまったのは「飛鳥時代」。
個人的にすごいなと感じたのが「仏教伝来」(西暦552年、538年とも諸説あり)からわずか1世紀ほどで、このような大規模な寺院が建立されたということでしょうか。時代は「大化の改新」や「壬申の乱」など、当時の中央政府がクーデターで騒然としていた頃にも関わらず…です。

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こちらから出土する品で殊に多かったのが、この美しい「屋根瓦」だそうです。確かに、いまから1500年以上前のものとは思えません。

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これら出土した瓦は「木之元廃寺(奈良県桜井市)」と「四天王寺(大阪市天王寺区)」で発掘されたものとまったく同じ文様(すなわち、同じ木型を使って焼かれた?)のだそうで、この「海会寺」を含め、それら寺院を建設した豪族たちの関係性などを知ることの出来る重要な手掛かりだとのこと。

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個人的には、こういった「日常生活」で使用されていた土器を見るのは興味深いものです。しかし、どれもしっかりとした作りだなと感じます。

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展示室の外には、かつての「金堂」の頂上で輝いていたという「相輪(そうりん)」の復元模型もあります。館内に入ってから実に目立っていました。

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大きいなあと思ったのですが、実は、実物の3分の1ほどだとのこと。
実際、これが高い金堂の頂上に取り付けられていたとなると…
当時は高い建物というのはなにもなかったでしょうから、特に目立ったのでしょうね。ただただ、すごいなあと感じます。

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それでは、メインの「企画展 昭和の一大観光地砂川」展を拝見して行きたいと思います。
昭和初期、遊園が全盛期の頃の図だそうですが、実に夢のあるものです。

次回に続きます。
今日はこんなところです。