松阪晶子さんの6th.SINGLE「一粒のダイヤを探して」に込められた晶子さんの楽曲感の進化 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

わたしが長年敬愛している、シンガーソングライター・松阪晶子(まつざか・しょうこ)さんの2ndアルバム「伝わりますか」リリースから昨日で23年、わたしの感じるその魅力について、前回では筆を進めて来ました。
 
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前回でも触れたのですが、前年(1994年6月17日)にリリースされた1stアルバム「夢を眠らせない」のテーマは「夢」
 
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そして、この2ndアルバム「伝わりますか」(1995年4月8日リリース)のテーマは「愛の手前の恋」
 
「力強い情熱で、持ちうる自らの力をすべて出し切った」「聞き終わった後には、あふれんばかりの達成感すら感じさせられる」という印象の1stアルバム「夢を眠らせない」に対し、翌年にリリースされたこの2ndアルバム「伝わりますか」は、先ほど触れたテーマのように「人を労い思いやり、いたわることの大切さ」「その気持ちの豊かさを持てば人は恋をする。そしてそれは愛へとつながる」という、人間にとって、実に満たされるような内容が重要な軸になっているように感じます。
 
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たった1年も満たぬ間に、このような大きな楽曲観の進化を遂げた晶子さん。
 
今日は、その「晶子さんにおける楽曲観の進化の過程」になったであろう、この両アルバムの間にリリースされたこの6thシングル「一粒のダイヤを探して」(1994年10月26日リリース)について思うところを、率直な思いを語っている、晶子さんの当時のインタビュー記事を交えながら、実に勝手に語ってみたいと思います。
 
参考:YouTube「一粒のダイヤを探して 松阪晶子」
 
YouTube「一粒のダイヤを探して 松阪晶子ファーストライブ」
 
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松阪 晶子~Looking For A Diamond
前は、ただ歌いたくて自分が歌う為に曲を書く、という感じだったんだけど、今は、私はどういう思いを伝えるのかっていう”対誰か”になって来ました。
 
デビューまでの自分を全て集約したというファースト・アルバム「夢を眠らせない」から4カ月―。早くも活動第2期に突入した松阪晶子が待望のニュー・シングル「一粒のダイヤを探して」をリリースした。いつかはチャレンジしてみたいと語っていたロックンロール調のナンバーで彼女がメッセージしたかった事とは何なのか?
 
 松阪晶子の1stアルバム「夢を眠らせない」はデビューシングルよろしくいろんな意味で”まっすぐ”なアルバムだった。元気はつらつとか前向き、ポジティブといった画一的な言葉でさんざん括られてきた彼女だが、僕はあのアルバムは凄く内省的だと思っている。実際の話、内省的だからといって暗くなる必要もないし、ブルーな雰囲気を醸し出さなくてはダメだという法律はどこにもない。
 
彼女の場合、自己と対峙すればするほど前へ前へと気持ちが向かう、簡単に言えば反省するほど奮起するタイプなのであって、ただ、ひたすら前向きになっていったというのが真実だろう。
要するに松阪晶子は、あたかも脳天気なポジティブ人間のように形容されているが、実はナイーヴな頑張り屋以外の何者でもないということである。
 
 さて、その彼女が10月26日に久々のシングル「一粒のダイヤを探して」をリリースした。誰の心にも存在しているダイヤの原石、つまり可能性をテーマにしたこのナンバーは、サウンドもよりアグレッシブになり、実にパワフルに仕上がっている。どうやら、彼女の頑張りは一層進化し、もっと前を見るようになったようである。
 
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―ニューシングルは、今までよりもパワフルな仕上がりになってますね。
「そうですね、ちょっとロックぽくというか、ギターの音も重ねて重ねて。
いい感じになってますね」
 
―この曲は、そういうイメージにしたかったんですか?
「ですね。もう、頭から、のっけからギターの音が欲しかったし、ライヴで早くやりたい曲にしたかったんですよ。(5カ月前にリリースした5thシングル)『燃える瞳を持ち続けて』もテンポも曲調も似かよってて、メジャーだし弾ける感じもあるけど、詞の内容は全く違うから。
『燃える~』は、私は伝説を作る!みたいな確信が存在していてトガった部分の松阪晶子が出てるんですが、今回のテーマは『醜いアヒルの子』なんですよ」
 
―へぇ、具体的に説明して貰えます?
「皆、凄い悩んだりして、私はもうダメだわとか俺はもうダメだとか、落っこちていくのは簡単だと思うんです。ただ、そこから這い上がる時に何を一筋の光にするかが問題ですよね。で、自分の信じたもの?やりたいこととかやれると思ったことを信じるしかないって考えて、その時にこのタイトルが先に浮かんだんですよ。皆、命を貰ったからには、絶対、1個ずつダイヤを持ってて。それは、輝いてない石ころかもしれないけど、それが悩んでいるうちに(石が)カットされて綺麗なダイヤが出来上がるという。
 
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もちろん、その石ころを見つけるのも勇気がいると思うんですよ。
私なんか、昔、美容師とか、デザイナーになりたかったとかいろんな夢があって、とりあえず自分のひとつの夢である「シンガーソングライター」が叶って、今、一生懸命(石を)磨いているんですけど。でも、まだ学生の人とか、流されて社会に出た人とか、もしかしたら本当にやりたかった夢が残ってるんじゃないかなって思ったときに初めてリスナーを少し意識して歌詞を書いた。聴く人にとってどういうダイヤが映るのかなって。だから『それぞれの一粒のダイヤを考えてほしい』という意味で作った曲なんですよ」
 
―何か、リスナーに対するそういう気持ちとか、アルバムをリリースした後で自分の中での意識の変化みたいなものはあったんですか?
「っていうか、ラジオのパーソナリティーとかやっているといろんな相談を受けるんですね。で、ラジオを聴いてファンになってくれた人やファンレターを書いてくれた人とか、そういう人たちに私は何を返したらいいんだろうって考えた時にこの曲を聴いて貰いたいと思ったんですよ。
私も、一粒のダイヤを探すのに凄く迷ったりしたけど、自分を信じてきたから、こうやって見つけられたんだよって」
 
―今の自分の姿をそのまま、ファンの人に見せてあげたかったと。
「うん。別に隠すものはないから。私が、こうやってきたことを皆、どう思うんだろうなって、投げかけてみたかったんです」
 
―でも、この「ダイヤの原石=可能性・夢」という現実はある意味で凄く普遍的だし、嫌な言い方をすると使い古されてますよね。「それを承知の上で使える」というのは、気持ち的に妙な計算もないし、より自然体になってきたということなんでしょうか?
「ええ、ものの見方というのも変わってきましたね。例えば、この紙コップ(と、ジュースの入ったコップを指す)は普通に見て半分しかないのが、こうやって(身を乗りだし覗き込む)見ると多いように見えるし、視線を離して見ると入ってないようにも見えるから。視野の置き方によって変わってくるんだなって段々気づいてきたんですよ。
 
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前は『ただ歌いたくて、自分が歌うために自分の歌を書く』みたいな。
それに『メロディ先行型』だったから『自分がこういう声で歌いたい、じゃあ、今の(自分の)気持ちは何だと』いう乗せ方で曲を書いてて。
 
今は『私はどういう状況でどういう思いを皆に伝えたいんだ』っていう『対誰か』になってきました。
『私だったら(物事に対して)こう見る』っていうのが私らしくできるようになりました。だから、今は詞の煮詰まりもないし、ポンポンと出てきます。まぁ、いつかは(壁に)ぶつかる時もあるんでしょうけど(ぶつかる時も)恐くないし、かえってそうなった方が自分を磨くことができるかなって。やっぱりO型かな、って(笑)」(中略)
 
―確かに。どうしても松阪さんの場合、しゃかりきみたいな部分だけがデフォルメされてきたところがありますからね。
「ええ、ええ。だから、通算では6枚目(のシングル)になるんですけど、そういう意味では、アルバムでひとつ区切りを置いてまた、始まるみたいなシングルですね」
(インタビュー/文 磯崎正彦 「NewsMaker 1994年11月号」P88-89)
 
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インタビューの内容に「内省的」という言葉がありましたが、「夢」をテーマにした1stアルバム「夢を眠らせない」の骨子というのは、まさに「晶子さん自身の『シンガーソングライターになる』という『究極の夢』」を具現化したもので、それゆえ、いい意味でつけ入る隙のない、言い方によれば「鬼気迫る」ほどの、実にがっしりとしたつくりの仕上がりなのだと感じます。
 
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換言すれば、先の文中に『ただ歌いたくて、自分が歌うために自分の歌を書く』とあったように、1stアルバム「夢を眠らせない」は、見方によれば「これ以上ない強烈な自己表現」だったのは間違いないことのようです。
ただその過程を経て「シンガーソングライター」になるために全力で走って来た晶子さんが、ここである意味「原点に立ち返った」のかも知れません。
 
「自分自身の表現」のみならず「人の心には必ず一つは大切なダイヤがある。それに気づく気づかない、磨く磨かない」ことを、聴き手はどう思うのか?と鑑みてもらおうというのが、この「一粒のダイヤを探して」に込められたメッセージ
 
それは「晶子さんのシンガーソングライターとしての人生」の中で、リスナーへ対するはじめての「問いかけ」「対誰か」と表現されていましたが)でもあり、それは2ndアルバム「伝わりますか」の骨子のひとつ「人への労いや思いやり」にもなっています。晶子さん自身にとっても、一つの大きな「ターニング・ポイント」だったのではないか?とわたしは感じます。
 
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ところで、これと同時期に発売された他誌(「What's in」)にも、このような記事がありました。
 
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「自分では気づいていないのに自分の中に持ってるものって、いっぱいあるはずなんです。だからこの曲をきっかけに、聴いた人にとってのダイヤの意味を、それぞれに考えてもらえたら…」
 
この一文に、晶子さんの「対自分」から「対誰か」という「心境の変化」、いや、「進化」が表現されているのではないでしょうか。
晶子さんはこのようにして「自身のダイヤを磨く」ことで、さらに「シンガーソングライター・松阪晶子」という自身の存在にさらに磨きをかけ、着実に活躍への階段を昇って行ったのだな、と感じた次第です。
 
長文乱筆、二回にわたりおつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。