新しい介護報酬の概要に感じることをあれこれと | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。
久しぶりに、ちょっと真面目な話題を今日はお送りしたいと思います。
わたし自身の仕事に関係するお話しです。

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「朝日大阪朝刊」平成30(2018)年1月27日付け 1面より。

新年度(4月)から施行される、介護保険制度の中で根幹を成している、介護保険サービスの対価としてやりとりがなされる「介護報酬」のあらたな概要について掲載されていました。
これについて、私見からあれこれ取り上げたいと思います。

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見出しから記事を読んでおりますと、この「新・介護報酬」のキーワードは「自立支援」と「成功報酬」というふたつのようですが、この「自立支援」という概念は「介護保険制度」において、まさにこの制度そのものを表現しているものだと、わたしは捉えています。

具体的に言うと「(介護保険サービスを利用している)高齢者の方々が、自分で自立した生活を送ることが出来るように支援すること」というのが、見聞したその通りの意味になるのですが、実は、これにはもっと深い意味があって、対象となる高齢者の方々に「自立支援」するため、どのようなバックグラウンドを持って頂くのか、どのようにして支援者(主に「介護保険サービスに携わる人々」)がその「自立支援」の土壌を一緒に(これがポイントですが)構築し、どのようにして、望まれる生活を実現させて行くのかということがあってこそ、成り立つものだと感じます。

これをもっと具体的に言うと「自己決定」(自分のことは自分で決める→例えば「使いたいサービスを自分で選択して決める、自分の生活は自分で差配して決める」)や「自己実現」(自身はこの先こうありたいと望むこと。介護保険サービスなどを活用して、自身の生活設計をすること)のお手伝いをする、という、人間にとって当たり前な権利を持って頂くように支援することが、介護保険サービスに携わる、わたしたちのような立場の人間が果たすべき役割、役目であろうと思いますし、この素地がなければ「自立支援」というものは成り立たないとわたしは考えています。

つまりは、あくまでも主体(主役、と表現しても良いでしょうか)になるのは
「介護保険サービスの対象となる高齢者の方々」であり、まわりの関係する人々はそういった「自立支援(その「自己決定」や「自己実現」の概念をも包含して)」のために、あくまで「側面的に支援する」というのが、介護保険制度では重要な概念になっています。

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さて、そのあたらしい「介護報酬」の概要を見て行きますと、聞くもすこぶる違和感のある「成功報酬」なる文字が見られます。

対象となる高齢者の方々が介護保険サービスを利用し、日常生活における自立度が一定以上向上すると、その対価として、事業所が加算(おおまかに言うと介護保険サービスはサービスごと、要介護度ごとにあらかじめ全国一律で点数が決まっていて、それ以外の特別なプログラム、サービスを提供する際には、事前了解のもと「加算」を取れる)をすることが出来るのだとのこと。

そもそも「介護保険制度」というのは「サービスを利用することで、要介護状態にならないよう予防する(要支援認定)、要介護状態の悪化を防止する(要介護認定)」という定義がなされているので、こう言われると、ああ、そういう考えもあるのか…などとも思ってしまうのですが、どうも腑に落ちません。

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同日付け 5面より。さらに詳しい解説が載っていました。

話しに戻りますが、介護保険サービスを利用するのはあくまでも「本人の自主的な選択」によるもの、という考え方なので、他人に強制されたり、無理にサービスを利用させられたりするという趣旨のものではありません(これはあくまで「建前」ですが)。

ただ、ここからは実際に従事したわたしの感想になるのですが、殊に在宅で生活されている方々の中には、比較的、要介護度の低い方々も実際たくさん居られ、上述の趣旨のように「いろいろな介護保険サービスを利用して、毎日がんばってるねん!」という方も中には居られます。ただ、そういった方というのは、全体的に見ればどちらかというとごくごく少ない存在であると感じます。

先ほど「介護保険サービスは『自立支援』の概念のもとに、主役となる高齢者の方々が主体になって、能動的に利用されるものだ」という趣旨のことを述べたのですが、それ以外の大半の方々に、果たしてそこまでのお考えを持って頂けているのか?というのが、従事するわたしたちにとってはどうも「ひっかかり」になっているからです。

この「介護保険制度の根幹を成す概念」を認識、理解して頂くことは、介護保険サービスを利用される方々の「コーディネート役」である「ケアマネージャー」(わたしもですが)の重要な役割だとは思うのですが、これは、介護保険サービスを提供するとっかかりなのにも関わらず、非常に難しく、そして大きな課題(もっというと「永遠の課題」のようにも…)ではないかと感じます(自分のことを棚に上げといて何ですが)。

具体的には「ご本人ではなく、ご家族が望んでサービスを利用されている(こういった場合には、ご本人は気乗りされていないケースが多い)」というように「やむを得ず」サービスを利用されているケースの方がどちらかというと圧倒的に多いのではないか…と感じることが、その証左のように思えたりします
(それを納得して頂くようにするのが、大事な仕事なのですが…)。

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この朝日の記事では「介護報酬 押しつけ懸念も」という見出しもあったのですが、先ほど触れた、くだんの「成功報酬」なるものについて、実際の介護事業者と、識者の方の弁がありました。

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「やむを得ず」という例を先ほど述べたのですが、「自立支援に特化したプログラム」を実施することは、事業者が得ることの出来る加算を目的に、本来の「自立支援」という意味合いから逸脱したサービス提供(つまり、加算目的の過剰なサービス提供、望まれてもいないのにサービスがはじめられるなど)が行われるのではないか、というもの。
そして、身体機能の回復が望めない対象者に、サービス提供がさらに無理を強いるのは、介護保険の概念ではないのでは、というもの。

確かに、いずれもそのおそれというのは十分あるなあと感じます。
というのも「介護保険制度」というのは、よくある、任意で入脱退出来る「私保険」ではなく、税金という「公費」が投入されている「公的保険」という性質があるからです。

それゆえ、介護保険サービスを提供する以上は「この方にはこういう必要性があって、これこれのサービスを提供しているのだ」という「整合性」を担保する必要性が生じます。そして、曲がりなりにもその前提があるので、サービスを受けられる高齢者の方々と、サービスを提供する事業者の間で、サービスの必要性について齟齬があると問題がある訳です。
ただでさえ減額されつつある「介護報酬」を少しでも得たい事業者側が、対象となる高齢者の方々へ「サービスの押し売り」のようなことにならないのか?ということが、いま以上に問題としてクローズアップされるのでは…とも感じます。

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その「介護報酬」をはじめ、介護保険制度を支えている「介護保険料」というものは、超高齢化がさらに進む今日、さらに膨れ上がるものであるのには間違いないものだと思われます。それに連れて、この制度も実際、毎年のように目まぐるしい(目新しい施策のオンパレード?)変化を遂げています。

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冒頭に触れた「成功報酬」なるものや、この「終末期における看取り加算」のように、「時代の趨勢に合わせた変化」というのはもちろん大切なものではあるとは思うのですが、そんな中、いちばん根幹にあるべき「介護保険制度というものの確固たる定義と、それに対する認識と理解」ということが、制度の発足から20年近く経ったいまなお、このように論議を呼び、課題になっているという事実を見るにつけ、その度に、国の制度に対する根本への捉え方というものがおざなりにされているように感じて仕方ありません。

実際、現場で「今年もエライ制度が変わったな。でも、また来年もがらっと変わるんやろうなあ。そういえば、今回の変更点は前回の変更点とは趣旨が全然違うやんか!」というようなことが毎年のようにあることが、それを如実に表しているようにも思えます。

それほど、いろんな意味で「流動的な制度」なものなのかも知れないのでしょうが、そういうことがあるがゆえに、現場で従事している者のはしくれとしては、いささか不安になったりします。
「これほど毎年のように大きく根幹が変わる不安定な制度ってあるのか」と。

そういった事情は参酌されこそすれども、ちょっとは先の見通せるような(少なくとも、方向性がコロコロ変わらないような)状況に落ち着いてほしいなあと、毎年のように感じるのですが…これはなかば、願望のようにも感じます。

乱筆長文おつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。