人気鉄道模型「鉄道コレクション 第25弾」のラインナップを、開封しながら順繰りに細見して愉しむということをしています。

6回にわたってお送りしたこのシリーズも、これで最終回になりました。
最後に取り上げますのは、この「京成電鉄200形 モハ206・207形」です。
「成田スカイアクセス線」や「新型スカイライナー」など、個人的には関西に住んでいても、その動向が大変気になる「京成電鉄」ですが、こちらの車両、銀色地の車体が多い現在の「京成電鉄」の車両とはまったく異を成す、特徴のある車両のように感じます。では、さっそく開封したいと思います。
先日の「京急1000形」に続いてもですが、まったく沿線外の人間ですので、誤りなどありましたらご教示くだされば幸いです。いつもブログに来てくださるsagaさん、どうぞよろしくお願い申し上げますm(__)m

まずはラインナップのひとつ「モハ206号車」。
側面には片開き扉が三枚。少々、小ぶりな車体のように感じます。

そして、その相棒である「モハ207号車」。

こちらの2種を並べてみました。
同じ「運転台付きのモハ車(モーターのついている普通車両、の意)」ということで、見た目には大きな差異はないように感じられます。

正面顔は貫通式、ちょうどオデコの上に設けられた、大きな一灯式のシールドビーム灯が時代を感じさせます。これは京成のみと言わず、昭和20~40年代初頭の車両では、この形状が標準装備とも言える、特徴的なものです。
さらに、その貫通路に設けられた「幌」が、その表情をいっそう精悍に、引き立てているように感じます。幌のありなしで、正面顔のまったく表情が異なって来るということは、趣味的には大変興味深いものがあります。

こちらをさらに側面から観察してみます。

今回のラインナップは2種ともに、運転台上にはパンタグラフが設けられています。それも「黒仕様」という、他ではあまり見ることがない装備のように感じます。塗装ともども、大変シブい印象を受けます。


側面の運転台側を、さらに拡大してみます。

その車体裾付近には、独特な書体の「Keisei」文字が。オシャレですね。
この「200形」ですが、車体更新がなされ、モデルとなったこの姿に改造されたのは「昭和40(1965)~41(1966)年」ということで、車体機器は、それ以前の昭和初期から使用されていたものだったようです。
ということで、車体は「その時代の近代的なもの」ですが、車体機器についてはいかにも「旧型」と呼べるような、古くて大型な台車を履いています。

これを編成にしてみます。
実際には、2編成つないだ4両編成での運用が多かったようです。

運転台のない、妻面(つまめん)側を拝見。
やはり、大きな台車に目が行ってしまいます。

ところで、この「200形」と呼ばれる車両以外の他形式でも、この塗装は、昭和20年代から40年代にかけては、京成電鉄の標準塗装だったそうです。
その外見から「青電(あおでん)」と呼ばれていたとのことで、比較的近年まで走っていて、京成電鉄をイメージさせる「赤い電車」こと「赤電(あかでん)」とは、随分印象が異なります。

では、そのあたりの経緯については、こちらの、
「日本の私鉄15 京成(保育社刊、早尾 興・諸河 久著 昭和57年初版)」、
「JTBキャンブックス 京成の駅 今昔・昭和の面影~100年の歴史を支えた全駅を紹介(JTBパブリッシング刊、石本 祐吉著 平成26年初版)」
から、拾ってみたいと思います。

まず最初は、こちらの「日本の私鉄」シリーズから。
表紙には、当時の看板車両だった「初代スカイライナー」が写っていますが、「京浜急行」の記事でも触れましたが、やはり幼少の頃に買ってもらったもので、穴が空くほど読み倒した、思い出の書籍のひとつです。

ページをめくりますと、この「初代スカイライナー」のグラビア写真がたくさんあります。初詣客で賑わう「京成成田駅(千葉県成田市)」。

終着・上野駅へと急ぐ「スカイライナー」。
このブラウンとベージュの塗装、そして、このスピード感ある正面顔、大変印象に残っています。よくよく考えますと、現在の「スカイライナー」はこれから二代も後の車両なのですね。

冷水器に洗面台、すっきりとした車内…「私鉄なのに国鉄の特急車両のようだな」と、この写真を見て、とても驚いたのを覚えています。

「スカイライナー」のお話しは余談なのですが、この書籍が発行された頃、「京成電鉄」というと、この塗装の車両が主に活躍していたようです。
上半分がベージュ系、下半分が朱系統の塗装。

その後、先ほどの塗装はこの「ファイヤーオレンジ」と呼ばれる、この塗装に改められることになったといいます。通称「赤電」と呼ばれるものです。
この塗装、関西に住んでいるわたしなどは「京成電鉄」というと、この塗装と先ほどの「スカイライナー」をまず思い浮かべてしまいます。

説明を読みますと、前者の「ツートンカラー」は「都営地下鉄浅草線」への相互乗り入れを機にあらたに制定されたものだったようですが、昭和55(1980)年には、後者の「ファイヤーオレンジ」塗装に統一されたとのこと。
そして、この「ファイヤーオレンジ」はその後、30年近くにわたって「京成電鉄の標準塗装」として用いられることになりました。

そして、これと同じページには…
冒頭に取り上げました「青電」が写っていました。

この書籍が発刊された頃には、荷物電車などとして運用されるのみになっていたようです。ただ「ファイヤーオレンジ塗装」が登場する以前は、この「青電車両」が、京成電鉄では主力車両として活躍していました。

それでは続いて、この後者の書籍を拝見してみたいと思います。
「京成電鉄全駅」を時系列的に取り上げた、なかなか興味深い本です。

先ほども触れましたが、昭和40(1965)年からはじまった車体更新前の「200形」の、登場時の写真が載っていました。柴又駅(東京都葛飾区)にて。

「昭和6(1931)年製造」ということですが、整った箱型の車体です。
「上野」と表記された行き先板を掲げていますが、よくよく見ますとこの表示板、戦後の車両まで続いていた「めくり式」と同じデザインですね。
戦前から戦後まで、同じような様式のものを使い続けていたとはすごいものです。
その後、車体更新がなされた「200形」は、時代に合わせた車体機器の近代化も合わせて行われるなどし、高速運転が出来る性能ゆえ、殊に重宝された存在だったそうです(毎度おなじみ「Wikipedia #京成200形電車」より)。

それでは、この書籍から拾った「青電時代の200形」のショットを見てみたいと思います。「日暮里駅(同荒川区)」にて。昭和42年撮影。
京成電鉄には数えるほどしか乗ったことのないわたしですが、現在の近代的な高架の「日暮里駅」とは、まったく趣きが異なることに驚きます。

こちらは「八千代台駅(千葉県八千代市)」にて。昭和47年撮影。

行き先は「東中山(同船橋市)」となっているのがわかります。
通勤時のみ運転されていた、希少な「青電特急」だったそうです。

ところで、この「青電」をまじまじと観察していますと、色彩や雰囲気がどうもこの車両と似ているように感じます。「京阪電車600形」(左)です。

色彩の濃淡、配置の差異はあれど、なにかどこか似たような雰囲気があるように感じます。気になる、大型の台車もどことなく似ていますし…

偶然なのでしょうが、後方の「京阪600形」も、もとは昭和初期に導入された旧型車の機器を流用し、同じような時期の「昭和36(1961)~40(1965)年」にかけて、車体を新造し更新がなされたものです。
そういうことでこの両車、種車となった車両の製造時期、そして、車体の更新時期までよく似ているので、とてもひとごと?とは思えないな、と思った次第です。まったく余談でしたが…

この「青電200形」のその後ですが、高速運転が可能な高性能を買われ、昭和53(1978)年に系列の「新京成電鉄」に譲渡され、平成2(1990)年まで長くの間、活躍していたとのこと。息の長い活躍だったようです。
現在は、往年の「青電塗装」に復刻され、沿線の「宗吾車両基地(同印旛郡酒々井町)」で大切に保存されています。

さて、6回にわたって「鉄道コレクション 第25弾」のラインナップについてあれこれと取り上げて来ました。
なにぶん、知識不足でお恥ずかしいところばかりだったのですが、このようにモデルとなった車両のことをいろいろ調べるにつけ、その時代背景、そしてその後の経過というものは、実にさまざまなのだなと感じた次第です。
こうして掘り下げてみるということは、実に奥深いものがあるなあとも感じます。
おつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。