みなさんこんにちは。前回からの続きです。
昨年末に発売された人気鉄道模型シリーズ「鉄道コレクション 第25弾」の、ブラインドパッケージを開封しつつ、順繰りに、そのラインナップを細見して楽しむ、ということをしています。

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今回、取り上げるのは「広島電鉄(広電)1080形 1081・1082号車」です。同時に発売されているラインナップのイラストと比べてもわかるのですが、車体のその小柄さが実に印象的なものです(特に、前回取り上げた「国鉄オレンジ電車」が大型車ゆえに…)。

果たして、どのような車両なのでしょうか。

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その「1081・1082号車」を並べてみました。正面は非貫通の三枚窓です。
もともとは、関西の大手私鉄・阪急電車で使用されていた小型車両「210形」を昭和51(1976)年に譲り受け、広電仕様に改造したたものだとのこと(これについては後述します)

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続いて「妻面」の側を拝見。車体幅も狭いということもあってか、貫通路の幅は大きいようで、両側の窓も小さく見えます。

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編成にしてみます。パンタグラフが運転台側にあるのが「1081号車」

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逆に、パンタグラフが妻面側にあるのが「1082号車」
これのありなしで、だいぶ印象が異なります。

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続いては、その「パンタグラフ」に注目しつつ、この2両を並べた状態で観察してみるのですが…

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この「1081号車」の方ですが、よくよく観察しますと、パンタの位置が…

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通常のものと比べ、かなり奥まった位置、乗務員室からふたつ客用窓をはさんで、さらにその後方の客用扉の上あたりにパンタグラフが設けられています。
阪急時代には、パンタグラフは前方、運転台側には設けられておらず、広電へ移籍してからあらたに設けられたものですが、これほど「深い位置」にパンタグラフが設置されているのは、路面電車など以外の、通常の鉄道車両ではあまり見たことがありません。

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続いては、ペアを組んでいた「1082号車」を観察してみます。この車両は、運転台側にはパンタグラフが付いておらず、すっきりとした印象です。

車体のこちら側には、乗務員室すぐ後方の客用扉に続いて2枚の客用窓があるのですが、その後方にある他の客用窓との間には「不自然な間隔」が出来ているのがわかります(赤色↓部分)
もともとは「運転室のある乗務員扉と、客用扉との間には客用窓が2枚ある構造」だったのを、広電に移籍した際に「客用扉が乗務員室のすぐ後方に来るようにし、その分の窓2つ分を車体後方へ移設した」ためです。

ちなみに、車体の反対側は原型通り、前者の窓・扉配置になっています(「1081号車」も同様)。

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続いて、パンタグラフがついている「妻面側」を観察してみるのですが、こちらのパンタの位置は、特に変わったものではないように感じます。
理由はわからないのですが、先頭にパンタグラフを搭載している「1081号車」では、車体奥に引っ込めないといけない事情がなにかしらあったのでしょうか。

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では、この「広電1080形」と、もとになった「阪急210形」について、さらに掘り下げてみたいと思います。

出典はこちらの2冊の書籍、
「私鉄ガイドブック・シリーズ 第5巻 阪急・京阪・阪神」(右)
(慶應義塾大学鉄道研究会編 発行所・誠文堂新光社 昭和43年12月刊)

「復刻版 私鉄の車両3 広島電鉄」(左)
(発行所・株式会社ネコパブリッシング 平成14年7月刊)からです。

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まずは、前者のこちらから。半世紀以上前の「昭和43年発行」ということで、掲載されている車両も、多くが姿を消しているものばかりです。

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こちらが、「1080形」の種車となった「210形」。

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正面の顔つきなど、かなり原型をとどめている印象を受けるのですが、先ほど触れたように、移設された「2枚の客用窓」と「客用扉」の位置がかなり異なることが伺い知れます。

車体は15m級という「小型車」で、この書籍が発行された昭和40年代前半ですでに、嵐山線などの支線での運用が主になっていたようです。

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そして、続いては後者のこちらの書籍から。
もともとは、昭和50年代後半からシリーズで発行されていたものなのですが平成に入り、「ネコパブリッシング」という出版社から「復刻再販」されたものです。その際に、いろいろと買い揃えていたのを思い出しました。

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こちらが、広電移籍後の「1080形」。阪急時代の面影はよく残っています。

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荒手車庫(あらてしゃこ、広島市西区)でたたずむ、今回の商品のモデルになった「1081・1082号車」の2両編成です。
例の「奥まった位置のパンタグラフ」が特徴的です。

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書籍の説明文を読んでいますと、阪急での廃車は昭和51(1976)年。
その同年、広電にやって来たようです。

「広電」というと、広島駅前から路面電車が観光名所の「宮島口」方面など、さまざまなところへ運行されているいうイメージがあるのですが、広島駅から宮島口駅へ向かう路線の途中からは「路面電車専用規格」ではなく「通常の鉄道規格」となっている区間があります。

具体的に言いますと「路面電車用の低いホーム」と「通常の鉄道規格のホーム」が並んでいる光景がその区間にあったのですが、この「1080形」は、この間「通常の鉄道規格区間専用」として運用されていた車両だったようです。広電での活躍は10年ほどで、平成元(1989)年に廃車となりました。

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ところでこのページには他にも、この電車が大写しになっていました。

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こちらは「1070形」という車両で、「1080形」と同様、やはり阪急からの移籍車両だそうです。
といいますか、この顔を見ていますと、関西に住んでいて、一昔前の時代を知っているわたしのような者としては「塗装が違っているだけで、阪急電車そのままやん!」と思えるシロモノです。

「戦前から、戦後すぐに登場した阪急の車両の顔は、おおむねこれが標準仕様だった」ということもあるのでしょうか。
そういうことでわたしなどは、塗装以外、これが「阪急電車」と言われても違和感を感じません。なかなか、興味深いなあと思えます。

では、さらに「第25弾」の開封と細見を続けてみたいと思います。
次回に続きます。
今日はこんなところです。