終焉迫る!オレンジ色の大阪環状線103系 後編 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。今日の話題です。
来月の10月3日に大阪環状線で長年活躍して来た、オレンジ色の「103系電車」が完全引退することに関連して、かつて主役として活躍していた当時の様子を手元にあった記録から振り返る、ということをしています。

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さて、今日取り上げますのは、いまから7年前のこと、平成22(2010)年9月26日、森ノ宮駅付近で発見された不発弾の処理を行うために、環状線の京橋~天王寺駅間が3時間にわたって一部運休になった際の記録です。

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環状線・京橋駅(大阪市都島区)には、このように代替輸送の詳細な案内が掲出されていました。
この時に運休になった区間では、主に大阪市地下鉄の谷町線(たにまちせん)と長堀鶴見緑地線(ながほりつるみりょくちせん)や千日前線(せんにちまえせん)が少し離れたところに並行していたので、それらが主な代替路線として案内されていました。

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そのかたわらに掲出されていた時刻表です。
内回り(大阪・西九条方面)は運休の区間外だったので運転はなされているのですが、この京橋駅から南側の区間、天王寺駅までは運休になっているので、作業中の内回り電車はすべてこの駅始発、大阪駅を経由して環状線をぐるっと回った天王寺ゆきが10分おきの運転になっていることがわかります。

外回りの方は、午前9時頃から12時頃まで、すべてこの駅止まりになっていることがわかります。

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わたしは、一部運休になるここから天王寺駅へと向かっていたようです。
この先、3時間ほど運休になる外回りホームに上がって来ますと、反対の内回りホームに「天王寺ゆき」が入って来るところでした。

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ホームの大阪方へやって来ました。入線して来たのは、現在ではもうすでに引退してしまった「低運転台タイプの103系」でした。

行き先は、先ほど触れたのですが「天王寺」京橋駅から発車する天王寺ゆきは特に珍しいものではないのですが、大抵は「外回り」としての運用なので、この駅からの「内回りの天王寺ゆき」というのを見たのは記憶になく、大変珍しく感じられるものでした(現在ではわずかに設定あり)。

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正面の、縦に桟が入っていない大型の窓ガラスになっているタイプは「体質改善」という、車両を長く使用するための延命工事が施された編成です。
森ノ宮にある電車区に所属していて、後年まで残存していたこの環状線のオレンジ103系は、おおむねこのタイプに改造されて活躍していました。

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続いて、やって来たのは「天王寺駅(同天王寺区)」です。
一部運休になる午前9時が近づいて来たので、運休区間に入る内回りに向かう電車は徐々に「当駅止」になって来ました。ところで…

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環状線には、さまざまな方面からの電車が乗り入れています。
そのひとつ、阪和線・関西空港線からの「関空・紀州路快速」もそうなのですが、こちらも、一部運休の時間帯には環状線へ乗り入れず、この天王寺駅始発・終着に切り替えられていました。

普段、これらの快速列車は、南側の奥まったホームから発着しているのですが、この日は行き止まり式の、いちばん北側の高架にある「阪和線専用ホーム」からの発車になっていました。こちらも、普段は発着しないので珍しい光景でした。こちらの記録はしていなかったようでした(汗)

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さて、環状線のホームに戻りますと…
一部運休区間の北端、京橋までの電車はすでに運転が終了していまして、次はその二つ手前の「森ノ宮駅(同中央区)」ゆきがやって来るようです。

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その「森ノ宮ゆき」も103系でした。
こちらは、この度最後まで残った1編成と同様の「高運転台」でした。

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通常のダイヤでは、この駅から「内回りの森ノ宮ゆき」は設定がないので、貴重な光景に遭遇することが出来ました。

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その「森ノ宮ゆき」が発車したあとは、運休区間を走る最後の列車、なんと「鶴橋ゆき(大阪市天王寺区)」がやって来ることになっていました。鶴橋駅は、森ノ宮駅の二つ手前の駅です。
現在、環状線では「鶴橋駅」を始発・終着にする列車は一本もないので、この特別ダイヤではいちばんの見どころ?だったのは間違いなさそうです。

といいますか、案内標にちゃんとフォントが入っていることに驚きました。

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しばらく待っていますと、その「鶴橋ゆき」が入って来ました。
オレンジ103系ではなく、大和路線に直通運転している「221系」という電車でした。気になる行き先表示ですが…

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ご覧の通りでした。この221系では、行き先表示はLED式なのですが、なんでも自由に表示出来るわけではなく、あらかじめ設定されている行き先のみ表示出来る仕組みになっているということを、後日になって知りました。
その中には、普段使用しない「鶴橋」は入っていないようでした。

これを見送ったのち、運休区間外の外回り電車に乗りました。

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続いてやって来たのは「大阪駅(同北区)」。
こちらに到着した時点では、すでに京橋~天王寺間の一部運休がはじまっていたので、到着する電車はすべて「京橋ゆき」になっていました。

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ここから京橋駅へ。乗車したのは、この頃から環状線へ大量に転入し、103系を徐々に置き換えることになった「201系」という電車でした。
7年前のこの頃には103系・201系、そして大和路快速(221系)や関空・紀州路快速(223系)といった車両群が、環状線で幅広く活躍していました。

こちらの201系も、幕式の行先表示器も現在ではLED式に取り替えられるなど
年月の経過を感じさせられます。

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そして、再び京橋駅へと戻って来ました。
この時点で外回りホームは「当駅止」の電車のみが入線するという状況になっていまして、代替輸送の案内のために、多くの駅員さんが待機されていた光景を覚えています。

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体質改善工事が行われる前、環状線で活躍する103系。原型を保っている。
平成7(1995)年3月、京橋にて。

さて、三回にわたり、大阪のシンボル・環状線で活躍して来た103系の姿を
お送りして来ました。先日の記事でも触れたのですが、ひと昔前までは、直通している他路線(大和路線、阪和線、関西空港線)からの車両以外は、すべてこの103系が占めていたので、「環状線のオレンジ103系」というのは、あまりにも日常の光景でした。

新型車両「323系」の導入が進み、世代交代と相なった環状線。
車両も、駅設備も大きく変わりつつあるいまは、まさに大きな「過渡期」なのだと感じます。ともかく、幼少の頃から慣れ親しんだこの光景、思い出は大切にしながら、「新時代の大阪環状線」というものに大きな期待をしたいと思います。

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おおさか東線で運用される「ウグイス色の103系」。大和路線とは車両は共通運用になっている。放出にて。

環状線から103系は姿を消しますが、いまでも関西ではこのように103系に乗車することが出来ます。ですが、目に見えて確実に数は減りつつあります。
そういうことで、これからは懐かしい、貴重なもの、という視点で103系を見聞するようになるのかな?と思うほどの、自分自身にとっては大きな出来事だった、今回の「大阪環状線のオレンジ103系引退」という話題でした。

今日はこんなところです。