みなさんこんにちは。前回からの続きです。
大阪市内を南北に貫き、関西空港へのあたらしいアクセスとして期待される「なにわ筋線」計画について、その拠点のひとつとなる「JR難波駅」(大阪市浪速区)周辺の鉄道網について、あれこれ取り上げるということをしています。

朝日大阪朝刊 平成29年5月21日付け 社会面(30面)より。
前日の読売大阪の報道に続き、朝日でも同様の報道がなされていました。

新規に設置される予定の駅は「4つ」。
南から「南海新難波」「西本町」「中之島」「北梅田」で、こちらでもやはり、十三(じゅうそう、大阪市淀川区)・新大阪方面から北梅田を経由して阪急がそれに乗り入れる計画があり、関係各所と今後、協議を行っていくという、おおむね同様の内容でした。
開業時期は2031年春と、想像もつかない先のことになりそうですが、今後の動向が大変注目される計画になりそうです。

さて、本題の「JR難波駅」にやって来ています。
地下1階の改札を抜けたところですが、外国人観光客対応のブースなどが設けられていて、数年前に降り立った時とはだいぶ趣きが違うように感じられます。実際に大きな荷物を持った、外国人の姿を多く目にしました。

この「JR難波駅」は、関西空港の開港(平成6年)に合わせて開業した「OCAT(大阪シティエアターミナル)」というビルの地下にあります。

開業当初、つまり、関西空港が開港した当時には、ここでチェックインして手荷物を預け手ぶらで空港に行ける、というのが大きなウリだったのですが、需要が少なかったのか、開港後、早くも平成10(1998)年に廃止になってしまいました。
私見ですが、インバウンド需要の高まっている現在でしたら、一定の利用層がありそうな気もするのですが。

地下から上の階には、さまざまなテナントなどが入っているという、いわば商業施設になっています。


2階には、これは「OCAT」開業当初からなのですが、規模の大きいバスターミナルが設けられていて、近年では、梅田と並んで夜行高速バスの大阪側の拠点としての役割が大きくなっています。その他方面へのバスも充実している「湊町(OCAT)バスターミナル」となっています。

さて、先ほども触れたのですが、ここにやって来るのは数年ぶりです。
当時は、閉鎖しているテナントも結構多く、100円ショップ「ダイソー」が気を吐いている、という印象が強かったのですが、その後は様相が大きく変わったようです。館内には、外国人観光客向けのおみやげ屋さん。

いかにもという感じです。観光地の京都などへ来ているようです。

また、こちらにはその外国人観光客向けの案内所も設けられていました。

大阪、関西の観光地がいっぱいです。地元の人間としては、観光客向けにこのような商品が、それもこんなにあるのかと感心します。

こちらも、最近は市内でよく見かけます。2階部分にルーフのない観光便ですね。「あべのハルカス」や「大阪城」などを回るもののようです。

ところで、この「OCAT」の東側出口にやって来ました。
本題の「JR難波駅」についての話なのですが、もともとは「関西空港開港」に合わせて開業したこの「OCAT」、それに合わせて、駅名は明治の開業以来からの「湊町(みなとまち)」から改称され、駅も地下化される予定になっていたのですが、諸般の事情で「駅の地下化」だけは、約2年遅れた平成8(1996)年3月に完成しました。

前回の記事の最後で少し触れたのですが、その「JR難波駅への改称」と「駅地下化」とのタイムラグの間に、この駅を訪問した記録を見つけて来ました。
だいぶ様子が変わってはいるのですが、当時と現在とを比較しながら、ここからは項を進めて行きたいと思います。

東側出口を出たところ。細い通路が延びています。

この「OCAT」の外観の最大の特徴は、この大きな丸形の飾りでしょうか。
これは、開業当初からあったものです。

そこから少し進みますと、千日前通りに面した「正面玄関」に出ます。
奥の特徴的な形の建物は、「なんばHatch」というライブハウスです。

それでは、撮影した20数年前(平成8年2月)のことを思い出しながら、探索してみたいと思います。

先ほどの東側出口付近、現在は使用されていない駐車場の跡地ですが…

このあたりでしょうか。地上駅当時の駅終端部の様子です。
終着駅ということで、かなり広い構造になっていることがわかります。遠の昔に廃止されてはいますが、かつては貨物ヤードも併設されていたそうです。

先ほどの、特徴的な「飾り窓」のある「OCAT」ビルの東側に、地上駅はありました。ちょうど高運転台タイプのウグイス色103系が停車していました。

これを少し、引いたショットがこちら。

現在では、だいたいこのあたりでしょうか。
正確にいうと、もっと画像右側から撮影したものなのでしょうが、駅跡地にはホテルやマンションが建っているのでこれが限界でした。
しかし、雰囲気はなんとはなしに感じられました。

地上駅の車止め付近からのショット。やはりこの時の主役は103系でした。
右端に停車しているのは「関空快速 関西空港ゆき」です。
2両編成ですが、大阪環状線を走って来た便と、途中の「天王寺駅」(大阪市天王寺区)で併結、8両編成となって関西空港まで運転されていました。
そのうちの1両、半分のスペースを荷物室に改造し、隣の「OCAT」でチェックインをした旅客の手荷物を載せるというサービスを行っていたのですが、利用は多くなく、チェックイン業務の廃止と同じ時期、平成8(1998)年には廃止され、ほどなくもとの座席スペースに戻されてしまいました。また、この駅着発の「関空快速」も平成16(2008)年には設定自体がなくなりました。

ちょうど、折り返し快速電車が入線して来たようです。
製造時の原型に近い、戸袋窓(とぶくろまど、客用扉の両側に設けられた、細長い窓)つきの姿が懐かしく感じられます。
現在、関西でわずかに残っている103系では、この部分はすべて埋められる改造が施され、いまは見ることが出来ないものです。

そして現在では、このあたりでしょうか。当時の写真を観察しても、どうも位置関係がはっきりとしません。

ようやく?「OCAT」と「JR難波駅」の正面へと出て来ました。図書館やコンサートホールを思わせる、おしゃれなデザインです。

その東側(画像では左側)に、かつては駅ホームがあったことだけはわかるのですが…現在では、高級ホテルやマンションなどに様変わりしています。

続いては駅舎です。三角様の屋根が特徴的なデザインでした。

このあたりでしょうか。後方の阪神高速の出入り口が目印になりました。
ところでこの「JR難波駅」、開業は明治22(1889)年と、100年以上の歴史を持つ歴史ある駅で、開業以来「湊町駅(みなとまちえき)」と呼ばれ、遠距離輸送においても、重要な役割を持つものでした。

「交通公社の時刻表」昭和43年10月号 P91 関西本線のページより。
余談ですが、このダイヤ改正は、いわゆる「ヨン・サン・トウ」と呼ばれ、東北本線の全線電化や、先般、全車勇退した世界初の寝台電車・583系が登場した改正として知られているものです。

これを詳しく見てみますと、当時、この「湊町駅」には、東京駅から直通の「急行 大和号」という列車が乗り入れていました。
その他にも、奈良・名古屋・和歌山方面への優等列車が終日にわたって運転されていて、まさに「大阪の南の玄関口」としての役割を担っていたことがわかります。
その後、関西本線の奈良電化(昭和48年)を前後に、大阪・奈良近郊への輸送に特化した運転形態が採られるようになり、現在に至っています。

それでは、もう少し撮っていた写真をご覧頂きたいと思います。


関西空港への「関空快速」。ですが、空いていることが多かったようです。

これを撮影した場所は、このように判明出来ました。ちょっとうれしい。


そして、これはこの辺りかとカメラを向けました。
現在では、高層建築と緑でいっぱいの「JR難波駅」、そして「OCAT」周辺でした。
現在では、高層建築と緑でいっぱいの「JR難波駅」、そして「OCAT」周辺でした。

しかし、当時の写真をいろいろ見返していますと、やはり多かったのはこの
103系でした。この時は、どこへ行ってもいやというほど目にする存在だったのですが、いまや風前の灯となってしまいました。天王寺駅にて。
時代の流れというのは、それはものすごく早いものなのだなと感じます。
次回に続きます。
今日はこんなところです。