JR西日本 全線完乗への道!その14~可部線・あき亀山駅へ | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
今春、ダイヤ改正で路線の延伸、殊に「JR初の廃止路線の一部区間復活」で注目を浴びている、広島市のJR可部線(かべせん)に乗り鉄しています。

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広島駅を午前9時03分に発車した、可部線延伸区間のあらたな終着駅となった「あき亀山駅」(広島市安佐北区)へ向かう車中の人になっています。

市内中心部から駅を過ぎるごとに、車内はご覧のように空いて来ました。

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旅をしていますと、その土地土地の車内吊り広告を目にするのも楽しみのひとつです。同じこの「3.4ダイヤ改正」の広告は大阪でも見られるものですが、こちらではもちろん「広島バージョン」です。

これから向かう可部線の「あき亀山駅」延伸の他、山陽線の寺家駅(じけえき、広島県東広島市。県西部、西条駅の隣駅となった)開業、芸備線(げいびせん)や呉線(くれせん)での列車増発といった点が、広島近郊在来線で改正点のようです。

ではここで、現在乗車している「可部線」について、
「各駅停車全国歴史散歩35 広島県」 中国新聞社編 河出書房新社発行
(昭和55年10月初版 絶版)
という書籍から、拾ってみたいと思います。

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全国47都道府県を網羅しているシリーズものなのですが、ガイドブックの類とは異なり、各駅周辺の土地の歴史や風俗、習慣などをこと細かに取り上げているもので、旅する時にお供の愛読書です(かなり古いシリーズなのですが…)
こちらにも、ちょっとおつきあいくだされば幸いです。

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可部線~太田川上流地域とデルタ都市を結ぶ~

   加計(かけ、広島市山県郡加計町※当時。可部よりさらに北西の山間部に入った街道町)を中心に太田川上流一帯の地と、かつては物資の集散地として栄えた可部を経て、河口のデルタ都市・広島までの距離感を縮めた一本の”パイプ”、それが可部線である。
それまで太田川流域の木材、木炭、銑鉄などは舟運に頼っていたが、可部線開通とともにこれにとって代わった。いまは貨物輸送としての位置づけより、むしろ沿線住民の生活路線としての色彩が強い。

  横川(よこがわ)から可部を経て三次に至る国道54号線(地図中、黒矢印)は、朝夕のラッシュ時を中心に交通渋滞が続いており、それを解消するために、緑井と基町間七・八㌔に祇園バイパスの建設が計画され、現在用地買収が進んでいる(※注釈:平成6年に開通。一部区間では、新交通システム「アストラムライン」と並行している)。

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なお、可部までの沿線には現在一七万人が住んでおり、通勤・通学者の輸送がピークにきている。ふえ続ける団地住民は五年先には倍増の三○万人が見込まれ、過密化する人口をひかえて広島市は国鉄と協議して、国鉄可部線の横川―可部間の複線化を早急に実現させたい意向である。

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可部町は昭和四七年四月に広島市と合併、今では完全に広島のベッドタウン。
人口も五万人を超える副都心に生まれ変わった。(中略)
また可部は、”安芸の小京都”と呼ばれ、多くの観光資源に恵まれている。
(後略、P220)

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そういったことで、線路の際まで住宅や、ところどころ小さな畑などがびっしりと並ぶ車窓が続きます。駅の間も距離は短く、どちらかというと「小私鉄」とか「市内電車」という感じがして、他のJR路線とは趣を異にする存在なのがわかります(可部線の出自はもともと「広浜鉄道」という私鉄だったそうで、昭和6年に国有化されたものだとのこと)。

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単線区間が続くので、頻繁に列車の行き違いがあります。
対向の広島ゆきも新型227系の「レッド・ウィング」でした。

その名前も麗しい、梅林駅(ばいりんえき、広島市安佐南区)にて。
やはり、駅近くに「八木梅林」という名所があったことからだそうです。

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この駅を過ぎますと、列車は左へ大きくカーブ、太田川を渡ります。
山が迫っているからでしょうか。川面もですが、先ほど市内中心部の横川駅付近で渡ったそれとはだいぶ印象が異なります。

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そのあとは、太田川の右岸に沿って線路は進んで行きました。

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広島駅から北上すること40分ほど、午前9時45分に「可部駅」(広島市安佐北区)に到着しました。今春の「あき亀山駅」の開業までの10数年間、この駅が終着駅でした(詳しくは、後ほど取り上げたいと思います)。

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この先が新線区間なのですが、まずはここでいったん途中下車します。
電車は20分おきにやって来るので、その間、下車したことのないこの駅を観察してみようという魂胆?です。

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まずは、西口改札を出ました。新線区間の「あき亀山駅」と、途中の「河戸帆待川駅(こうどほまちがわえき、同)」へ向かう列車が発着する専用ホームとなっています。
今回の延伸にあわせ、もともとは側線が敷かれていた場所に、新規にこのホームが設けられたのだそうです。

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「あき亀山駅」までは2駅、140円。
広島駅までは320円、宮島口駅までは580円でした。

ちなみに宮島口の先はすぐ山口県で、観光地・岩国へも近い土地柄です。

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「あき亀山ゆき」ホームのある西口の外には、立派なバスターミナルと車寄せが設けられていました。近年、完成した国道側の出入り口にあたります。

駅から近いところに、結構な高さの山が迫っています。
「阿武山(あぶさん)」という標高585mの小高い山で、ハイキング地として人気があるそうです。きれいな形状の山です。
そういえば、ここまでの可部線車中でも登山姿の人々を結構見かけました。


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それでは、駅開業時から存在している「東口」へ行ってみることにします。

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東口への跨線橋から、駅構内(広島方)を望む。2面2線の構造です。
先ほども述べましたが、右側のあき亀山方面ゆきホームは新設されたもので、かつては側線のみあったとのこと。
左側には、以前からのホーム(横川・広島方面ゆき)と本駅舎があります。

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東口改札の様子。こちらには「みどりの窓口」や「ハートイン・セブンイレブン」も併設されていました(JR西独自形態の店舗)。
反対側電車も出発したばかりで、少し閑散とした雰囲気です。

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こういった掲示があるのは、開業直後ならではの風景でしょうか。
ちなみに、訪問したのは開業の5日後でした。

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記念入場券も発売されていたようです。当日に完売だったのでしょうね。

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こちらが東口の駅舎です。こじんまりとしていますが、瀟洒な感を受けます。
この可部についても、先ほどの「各駅停車全国歴史散歩」から拾ってみます。

水陸交通の要衝 可部

出雲と石見の分かれ道
「漢辨」(かんべ、“乾いた川+別れる“の意)と『倭名抄』(わみょうしょう。平安時代中期に編纂された、国語辞典・百科事典・漢和辞典とを兼ね備えた、当時の社会や風俗などをこと細かに記した辞書)にあり、のち厳島神社の古文書では可部荘となっている。県内の神辺(かんなべ、県東部の福山市の地名)、あるいは神戸など海辺の地名から考えて、太田川沖積平野ができるまでは、広島湾が入り込んだ海辺だったと考えられる。

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出雲(いずも、島根県東部に相当)と石見(いわみ、同県の西部に相当)への街道は、広島からここまでは一本道だが、ここで分かれて出雲路は三次(みよし)へ、また石見路は西へ折れて加計(かけ)を経由している。中国山地の人も物産も、この町を通らねば広島城下へは出られなかった。それには太田川の舟運があずかっており、いわば内陸部の港である。熊谷直実の孫、直時が町背後の高松山に、元応元年(一三一九)に城を築いてから町ができた。(後略)(出典同、P228)

先ほどの地図をまた見て頂いたのですが、これはあくまで諸説があるようですが、この「可部」という地名には、古来からの太田川とそれに沿う街道の別れ道の場所、という意味合いがあったようです。現在ではちょうど、上の地図では国道54号(三次、出雲方面)、そして国道191号(石見・益田方面)がそれに相当するでしょうか。

昔も今も、ここは交通の要衝であるようです。
しかし古代は、山の迫るこのあたりまで湾とか海辺だったとは驚きです。

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ところで、東口を出た駅構内の端では、このような工事が行われていました。

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広島方面ホーム、東口改札からその場所を見たところ。
なにやら、工事が行われている場所、ホームのように見えるのですが…

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改札を入り、広島方面ホームから観察してみますと、やはりホームです。
線路も撤去されている様子が一目瞭然です。

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取り外された枕木が、次々とまとめられて行っていました。
ここにはかつて、頭端式ホーム(とうたんしき。行き止まりのホーム)が2面と、2つの線路がありました。

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現在の地図に、可部以北の廃止区間をなんとなく?トレースしたもの(赤い点線)。

可部線はさらにこの先、先ほどの文献にも登場した「加計(かけ)」を経由、島根県との県境に近い、三段峡(さんだんきょう、広島県山県郡戸河内町※当時。現在は安芸太田町。国の特別名勝として知られる)まで路線を延ばしていました。「あき亀山延伸」は、その廃止区間を一部復活させたものです。

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可部線非電化区間で主力だった、キハ47形ディーゼルカー。広島駅にて。

三段峡廃止前、この駅は「広島方面が電化区間・三段峡方面が非電化区間」という境界駅となっていて、撤去工事が行われていた行き止まりホームと線路は、この駅から始発となる広島方面への電車が発着していて、現在は広島方面への電車が発着するホームが、三段峡へのディーゼルカーが発着するホームだったそうです。

そういうことで、この駅は…

終着駅(明治44年 開業時)
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中間駅(昭和11年 可部以遠の延伸時)
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終着駅(平成15年 可部~三段峡間廃止時)
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中間駅(平成29年 あき亀山延伸時)

という歴史をたどっている駅だったことがわかりました。なかなか、奥深いものです。

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そうこうしているうちに、次の「あき亀山ゆき」がホームに入って来ました。
今回の旅のメインイベント、いよいよ「廃線復活区間」、もとい「新規延伸区間」へ向かいます。

次回に続きます。
今日はこんなところです。