みなさんこんにちは。前回からの続きです。
20年前の平成9(1997)年3月に開業を迎えたJR東西線について、シリーズで取り上げています。当時撮影した写真、特に東西線開業と同時に廃止となった学研都市線の終着駅・片町駅について、現在の様子とを比べながら項を進めています。

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翌日に東西線の開業を控えた、ちょうど20年前の平成9(1997)年3月7日。
明治28(1895)年の開設以来、長い歴史を持つ終着駅、片町駅(かたまちえき、大阪市都島区)が、ついに最後の日を迎えました。

地元駅からここに到着したのが、確か午後8時過ぎだったかと記憶しています。
普段は静かな駅なのですが、入場のために行列が出来ていました。

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特製の横断幕も設けられていました。

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ギャラリーの多さは、こういった際にはいまも昔も変わらない光景ですね。
かくいうわたしもでした(笑)

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この日には、翌日あらたに開業する東西線と、それにつながる学研都市線との線路の切り替えが行われることになっていて、片町駅を発着する学研都市線の最終列車は午後9時半過ぎで終了、片町駅~京橋駅間では西日本JRバスの車両を使用し、代行輸送が行われました。

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実は、その片町発の最終列車、普通四条畷ゆきだったかと思うのですが、これに乗車してわたしは地元駅まで帰宅しました。
ただ、肝心のその最終列車の記録がありませんでした( ゚Д゚)

最終列車の車窓から、煌々と照明が灯された線路切替の地点に、たくさんの作業員の人々が待機していたのが見えたり、京橋駅到着前に「長年にわたり片町駅をご利用頂きましてありがとうございました」という車内アナウンスがあったりと、印象に残る情景だったことを覚えています。いまから考えると、そのあたりの記録もしておけばなと思うのですが…きっと、車内が満員だったからでしょうか。

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ところで、ここからは学研都市線にまつわる、昭和末期から平成初期にかけての頃のポケット時刻表について取り上げて行きたいと思います。
これは京橋駅、平成元(1989)年3月改正のものです。

乗り入れている大阪環状線、学研都市線の時刻が掲載されているのですが、学研都市線では全線電化工事が完成、これを受けて学研都市線では大幅なダイヤ改正が行われ、日中は20分おきに快速電車が運転されるようになりました。
まだ片町駅が健在の頃のものですが、片町ゆきの時刻は掲載されていませんでした。短い距離ということ、電車も頻発しているという事情があったからでしょうか。

その体裁は、東西線開業まで一貫していました。

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続いてはこちら、その京橋駅から快速で10分ほどの「住道駅(すみのどうえき、大阪府大東市)」のものです。平成4(1992)年3月改正、左側に「全快速電車に新型電車登場」という見出しがあります。

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国鉄時代の昭和50年代から、学研都市線ではこのオレンジ色の103系電車が主力として活躍していたのですが、この東西線開業に合わせ、徐々に姿を消しました。鴻池新田駅(こうのいけしんでんえき、大阪府東大阪市)にて。

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代わりに投入されたのが、この207系電車です。
地下区間が多い東西線を走るということで、その対応がなされており、その後は京阪神のJR線で一気にその勢力を増やしました(塗装が変更されてはいるものの、現在でも各線区で幅広く活躍する姿が見られます)。京橋にて。

先ほどの住道駅のポケット時刻表に戻りますが、この見出しは、東西線の開業に先駆けるほど5年前に、すべての快速電車がこの新型・207系電車に代替されたことの告知でした。学研都市線にこの207系がはじめて投入されたのは平成3(1991)年のことだったのですが、沿線住民(わたし)としては、これまでの古いオレンジ色の103系に対し、新型の207系が登場したというのは、それはそれは大変な出来事でした。

その時、わたしは中学生だったのですが「あの環状線より、学研都市線の方が先に新車が入った!」と、友人と言ったとか言わなかったとかでした(笑)
当時、環状線では同じオレンジ色の103系がほとんどでしたから…
(「大和路快速」などで奈良方面からやって来る、ベージュの221系電車は走っていましたが)

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国鉄最後のダイヤ改正となった、昭和61(1986)年11月改正の鴻池新田駅時刻表。右端に京橋駅発上り列車の時刻表が掲載されている。

京橋駅発上り列車(放出・住道・四条畷・長尾・木津方面)の時刻表も右端に掲載されているのも、学研都市線各駅のポケット時刻表の大きな特徴でした。
それだけ、学研都市線から環状線への乗り換え需要が高かったからでしょうか(当時もいまも、かくいうわたしもそのひとりです)。
帰路の際など、いちいち京橋駅の時刻表を見なくていいので、便利なものだなと感じていました(むしろ、この体裁が普通なものだとさえ思っていましたが…)。

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それでは、片町駅のものを見てみたいと思います。
こちらも同じく昭和61(1986)年11月改正、手元にあったいちばん古いものです。まだ国鉄時代のもので、当時、主力だった103系電車のイラストがあしらわれています。

先ほどご覧頂いた学研都市線の他の駅のものと比べ、紙質も異なり、手の込んだちょっとおしゃれなデザインです。おおげさですが、いまから考えると歴史ある終着駅だ!というプライドの表れとでもいうのでしょうか。

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その朱色調バージョンの他にも、このような別バージョンの時刻表もありました。
こういった扱い?を見るにつけ、片町駅というのは他の駅とは違う、特別な存在なのだななどと、小さいながらに勝手に思い込んでいたことを記憶しています。

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続いては、昭和63(1988)年3月改正のもの。
この改正から、片町線には学研都市線という愛称がつけられました。

日中は、四条畷ゆき(大阪府大東市)、長尾ゆき(大阪府枚方市)への普通列車がそれぞれ10分おきに運転されていたのですが、この改正から、平日朝ラッシュ時に一本のみ快速電車が運転されることになりました午前7時49分発、快速長尾ゆき。片町駅へ向かう快速電車は同じく平日の夕方、長尾駅から2本の運転)。

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これは平成最初のダイヤ改正となった、平成元(1989)年3月のもの。
「GAKKENTOSHI LINE TRAIN SCHEDULE of KATAMACHI STATION」という英字表記が、実に斬新なものでした。こういったデザインのものは、当時他には見たことがありませんでした。

先ほど、京橋駅の時刻表でも述べたのですが、この改正で学研都市線は全線電化が完成、日中に快速電車が20分おきに走るようになりました。
上のふたつと比べても、列車本数が大幅に増加していることがわかります。

そしていよいよ、東西線開業の日を迎えることとなりました。

次回に続きます。
今日はこんなところです。