「JR北海道 全線完乗」を目指す旅、この旅最初の未乗線区の「日高本線」で「鵡川駅(むかわえき、胆振管内むかわ町)」に到着しました。

ひなびた駅構内の風景にほっとします。


駅前のロータリーにタクシーが数台停まっているのですが、閑散とした雰囲気です。
では、この「鵡川駅」については「各駅停車全国歴史散歩1・2 北海道」から拾ってみたいと思います。
シシャモのまち 鵡川
ススハムが語源
柳葉魚。シシャモと呼ぶ。
アイヌ語の「ススハム」(柳の葉の形をした魚)が語源だが、ススハムが「スシャム」、さらに「シュシャム」、「ショシャモ」、「シュシャモ」などとなり、いつか「シシャモ」に落ち着いた。
正式に「シシャモ」(柳葉魚)と和名がさだまったのは、昭和二年、北大水産学部の疋田博士の命名による、とされている。
一〇月にはいって鵡川の街を歩くと、通りはシシャモ一○匹を一クシにしたスダレ干しがずらりと、それこそスダレのようにならぶ。(後略)
神々の贈り物
シシャモはだれにでもたやすく生干しできるため、貯蔵食料に適していた。そこで、むかしからアイヌの貴重な食料となり、不漁はアイヌの生活そのものをおびやかすほどだった。
それだけに、シシャモにまつわる伝説も少なくない。
天上の雷神の妹が沙流川(さるがわ。鵡川より南の日高管内を流れる一級河川。水質がすこぶる良いと知られている河川)と鵡川の水源にあるシシリムカカムイヌプリにおりてみたところ、川ぞいのどの集落からも煙が立っていない。
人間たちの話しているのを聞くと、食べ物がなくて困っているようだ。天上の神々も驚いて、こんどはフクロウの女神が柳の枝をツエに天から降りてきた。
それをどこに流すか神々は相談し、沙流川は水はきれいだが、男川で気が荒い。女川の鵡川がよかろう、と魂をいれた柳の葉を鵡川に流すことになった。
(中略)
また、一説には神の国の川岸、あるいは庭にあった柳の葉が地上に落ちた。神はその葉が地上でくさってしまうのがもったいないとシシャモにした、とも言い伝えられている。

ナゾの回遊魚
戦前は、川がまっ黒く見えるくらいシシャモがのぼってきた。「補虫網でジャンジャンすくった」とか「タモ網でひとり四、五〇箱は水揚げできた」とシシャモをめぐる昔話はたくさんある。
けれども、乱獲や漁法のせいで漁獲は先細りの傾向だ。(後略)
「シシャモの街」だったのですね。
また「シシャモ」という言葉自体も「アイヌ語に由来するものだった」とは驚きですが、実はこの種の言葉は他にも「ラッコ、ハスカップ、トナカイ」などが、意外なところでは女性誌の「ノンノ(”花”の意)」もこれに該当するそうです。身近に触れて使っていたものだったのですね。勉強になりました( ^ω^ )
引用に戻りますが、かつての鵡川の情景、「川面が真っ黒になるほど」とは、なかなか想像がつかない光景です。
ただ、これは同じ北海道で「ニシン」にも当てはまることかも知れないのですが、これほど日常の風景として当たり前だった「シシャモ」が遠い存在になった…という経過は、単なる「漁獲」ということだけではなく、その土地の生活そのものを大きく変えるほどのものだったのかとも感じました。
一見のわたしがおいそれということではないですが、「自然の摂理」というものは言葉では表しがたいものがあるのだなとも感じます。
ただ、現在では繁殖の取り組みがさまざま行われていて「鵡川シシャモ」というブランド名で展開されているそうです。
ちなみに、「鵡川」という地名は、やはりアイヌ語で「ムッ・カ・ぺッ(河口が・砂で埋まる・川)」が由来だそうです(諸説あり)。この駅から少し南へ進んだところに流れる、地名と同じ「鵡川」が太平洋に流れ出す河口付近の様子を示しているようです。


さて、駅舎に戻りますとこのポスターが貼られていました。
先ほど乗車して来た列車にも中づりがあったのですが、実は「日高本線」はこの駅が終着駅ではありません。
先ほど乗車して来た列車にも中づりがあったのですが、実は「日高本線」はこの駅が終着駅ではありません。

この「日高本線」は、その名称にもあるように「日高管内」を太平洋沿いに、もともとは襟裳岬に近い「様似駅(さまにえき、日高管内様似町)」までを結んでいる路線です。
先ほど通って来た港湾地帯を抜けると海岸に極めて近いところを走り、海沿いの雄大な車窓風景で人気の高い路線なのですが、その海岸線の区間の路盤が流出するという事故が複数回にわたって発生したため、この先の「鵡川~様似間」で列車は運休、代行バスによる輸送が行われています。

駅舎に面したホームは、かつて「苫小牧方面」への列車が発車していました。
現在は、運休以前に「様似方面」として利用していたホームで苫小牧方面へ折り返ししているので、このホームは使用されていません。

構内踏切から「様似方面」を望む。
赤茶けたレールが「列車の発着が行われていない」という事実を無言で語っているように感じます。
いつしか、この先の区間が再開される日を待っているかのようです。

少しせわしないのですが、折り返し列車で苫小牧へ戻ることにしています。
せっかくなので先ほど触れた「列車代行バス」で南へと下ってみたいのですが、日程の都合上難しいものがあるので断念。

同じ「1両編成のディーゼルカー」です。塗装は「日高本線オリジナル」だそうです。

ふたたび訪問するのは、この先の区間が運転再開されてからになりそうです。それまでしばしお別れですね。

来た道を苫小牧へと戻ります。
果てしない原野の向こうに、港湾クレーンが林立している風景が印象的でした。
帰路は高校生が多数乗車していて、立ち客も出るほどのにぎわいでした。


再び「千歳線」が近づいて来ました。電化された立派な鉄路です。
次回に続きます。
今日はこんなところです。