PLAYBACK EXPO2005~「愛・地球博」の残影を探して~その7 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。
「愛・地球博(愛知万博)」の「瀬戸会場跡」を散策しています。

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会期中、ここにあった「瀬戸会場」の名物として人気を博していた「天水皿n(てんすいさら えぬじょう)」と11年振りに再会することが出来ました。
周辺を見ますと、万博当時の面影はまったく感じられないのですが、それゆえに「よくぞ残っていてくれたなあ」と感慨にふけってしまいました。

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さて、「公式ガイドブック」を見ますと、「瀬戸会場」は「メインエントランスがある部分」と「パビリオン・展示館が設けられている部分」とに分かれていたことがわかります。

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現在の地図で確認しますと、前者はここ「愛・パーク(瀬戸万博記念公園)」、後者は「あいち海上の森(かいしょのもり)センター」という施設になっており、互いが少々離れていることが伺えます。

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その間をこのような「連絡デッキ」でつないでいたのですが、当時の写真を見ますとこの「天水皿n」は、これら施設の中間部分に位置していたことが確認出来ます。

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ということで、位置関係を推測しながら「定点観測」してみたいと思います。

「天水皿n」(見えませんが、右側にあります)を望む展望デッキから「パビリオン・展示館」があった方向を見たところですが‥

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木製の長い「連絡デッキ」の先には、円形状の「市民パビリオン」がありました。
実際は画像もう少し左側からのショットなのですが、連絡デッキが撤去されているので同じアングルからの撮影は出来なくなっています。

右側の白い屋根の部分には、「メイン会場」だった「長久手会場(ながくてかいじょう
)」へ向かう乗車料金無料の「モリゾーゴンドラ」が発着していて、「市民パビリオン」建物外側のスロープを延々と登って乗り場へと向かう構造になっていました。

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もう少し拡大してみます。
柵が張られ、立ち入りが出来ない区域になっているようですが‥

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このあたりでしょうか。先ほど触れた「市民パビリオン」がありました。

こちらではその名称の通り、一般市民の方々による「企画展示」や「芸術・文化活動
が行われていた施設でした。幾度か訪問しましたが「華道展」や「人形劇」などが催されていて、その手作り感に気持ちがほっこりしたことを記憶しています。

徐々にではありますが、当時の位置関係が見えて来ました。

それでは、「瀬戸会場」を構成していたもうひとつの場所、「パビリオン・展示館」が設けられていたところへと移動することにします。現在では、「あいち海上の森(かいし
ょのもり)センター」となっているところです。

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「愛・パーク(瀬戸万博記念公園)」の東側、この道路を北へと進みます。
右手には「愛知工業大学」の敷地が広がっています。

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公園のまわりには「ため池」も見られます。当時には気づきませんでした。

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案内看板が見えました。もう少しです。

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歩くこと10分ほど、「瀬戸会場」跡に再整備されたという「あいち海上の森(かいしょのもり)センター」に到着しました。

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この建物は、万博当時には「瀬戸愛知県館」として活用されていたものです。
さっそく、内部に入ってみたいと思います。

次回に続きます。
今日はこんなところです。