みなさんこんにちは。
11年前に開催された「愛・地球博」の残影を探索する旅をしています。


名古屋都心部から東部に位置する「八草駅(やくさえき、愛知県豊田市)」にやって来ました。住宅地と森林地域が交錯する閑静なところです。

「八草駅」の東側に出て来ました(先ほどの地図では「☆」の場所)。
「区画整備の途上」という印象を受けますが・・・

会期中の同じ場所です。
まるで別の場所のように錯覚するのですが、ここから「瀬戸会場」までの「シャトルバスのりば」が設けられていて、休日などにはこのような混雑が見られました。
画像のバスは「名古屋市営バス」ですが、万博会場周辺で運行されていた「シャトルバス」には、この他にも「名鉄バス」、「三重交通バス」など、さまざまな会社の車両が充当されていたのも特徴でした。平成17(2005)年9月25日撮影。

今度は、線路を越えて「駅西側」へと出ます(地図「☆」に当たります)。
「ロータリー」が設けられているので、こちらが実質的な「駅正面」です。

その「ロータリー」内の植え込みに、さっそく「万博当時の残影」を発見しました!

「記念碑」のようですが、「EXPO2005 AICHI」と、当時用いられていた「シンボルマーク」があしらわれています。
閉幕後、「ロータリー」が整備された際に設けられたもののようです。
「緑色地にシンボルマーク」・・・当時のことが少しずつ想起されて来ます。

ここでも「定点比較」してみます。
「ロータリー」から「愛知環状鉄道の八草駅ホーム」を眺めたところですが…

このような感じでした。
画像右側には「愛知環状鉄道」の「出口専用改札」があり、大挙して下車して来た乗客を滞留させるため、「大きな屋根つきの広いスペース」が設けられていました。
さらに、このスペースは単なる「リニモやシャトルバスのりばへつながる通路」としてだけではなく、「周辺自治体のPRブース」や「売店」、「ジューススタンド」などが設けられていて、わたしも幾度か立ち寄った記憶があります。
平成17(2005)年8月25日撮影。

この「八草駅」に乗り入れている、新交通システム「リニモ」の駅舎についても見てみます。

現在のそれとは、少し様相が異なります。
というのも、「リニモ」の開業当初時点から、万博へ向かう乗客が集中することを予測してホームの幅を広く設けており、会期終了後はその需要に合わせて「ホームの規模を縮小させる工事」を行ったためです。
平成17(2005)年9月26日撮影。


万博公式キャラクターの「モリゾー・キッコロ」のデザインがあしらわれた会場への案内板が掲出されています。
この「八草駅」は「長久手会場」、「瀬戸会場」の中間付近に位置していたこともあり、双方の会場へ向かう観客が集約される拠点であったことが伺えます。
徒歩で会場へ向かうのには少し遠い気もしますが、閉幕間際に「リニモ」や「シャトルバス」の乗車待ち時間が1~2時間になることもあり、待ちきれない人々が道路沿いに会場へ向けて歩く姿も実際、目にしました。平成17(2005)年9月26日撮影。

この先、高架線路沿いに2km弱進むと「長久手会場」がありました。
会期中は大規模な交通規制が行われており、現在からは想像もつかない光景です。

さて、今回は「瀬戸会場跡」を訪問することにしています。
もともと、「愛・地球博」はその「瀬戸会場」がメインになる構想でした。
ただ、予定地には「海上の森(かいしょのもり)」という豊かな森林地帯が広がっており、絶滅危惧種の「オオタカ」の巣が発見されるなど、大規模な開発を危惧する意見が相次ぎました。
「自然の叡智」をテーマにする万博の理念もあり、当初の構想は大幅に変更され、もともと「愛知県青少年公園」があった場所にメイン会場の「長久手会場」を設けることとなり、「瀬戸会場」は「第二会場」という位置づけのもと、豊かな緑を活かした「自然を体感出来る施設」を中心にパビリオン・展示館などが設けられ、開催されました。

そういうことで、現在の「あいち海上の森センター」、隣接する公園施設「瀬戸万博記念公園 愛・パーク」となっている場所に「瀬戸会場」が設けられた、という経緯があります。
会期中、その「瀬戸会場」にも幾度も足を運びましたが、「もともとあった森林地帯を活用した」という事情があるので「当時の面影が多く残されているのではないか‥」と期待して、ここまでやって来た次第です(^o^)

ただ、先ほども触れたように、ここからは少しばかり距離があります。
当時、この駅から「シャトルバス」に乗車した際も、車窓からは「結構な距離、勾配があるなあ」と感じたのですが、ここからどのようにして向かおうか‥
次回に続きます。
今日はこんなところです。