みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「熊本・宮崎・鹿児島県境」の「山岳部」を走る、「肥薩(ひさつ)線」の旅をしています。

「矢岳駅」(熊本県人吉市)を出発。

しばらく走ると、この看板の前で列車がおもむろに停車しました。
「日本一の車窓風景」とありますね。

ついに、「桜島」の文字が見えました。いよいよ「鹿児島」が近づいて来ました。が…

やはり、何も見えません(>_<)
それでも、ゆっくり停車して「どうぞ写真をお撮りください」とアナウンスする「アテンダントさん」はどこまでも前向きで、すこぶる親切です(^^)v

さて、「矢岳駅」を出ると、列車は「真幸(まさき)駅」へと向かいます。
この辺りまで来ると、山岳地のだいぶ下ったところなのですが、「スイッチバック」が駅手前にあります。
この様子は、座席上部の「モニター」でご覧頂きたいと思います(→手抜き…)
まずは、「矢岳駅」からいったん、「引き込み線」に入ります。

進行方向を変え、駅構内へ入って行きます。


左手に見えるのは、先ほど通過して来た「山から下って来た線路」です。

そして、しばらくすると「真幸駅」のホームが見えて来ます。

そして「真幸駅」に到着。
この駅からは「宮崎県」ですが、次の終着「吉松駅」は「鹿児島県」。
都合、この駅周辺は「宮崎県」をちょっとかすめるようなところに位置しています。


この「真幸駅」には、「幸せの鐘」なるものがあるということで、「人吉駅」から同乗している「テレビ取材」の方々がその様子を撮影されていました。

わたしは別段興味はないので(笑)駅舎観察に入りました。


「真幸駅」。「真の幸せ」と書きますので、「国鉄末期」に流行した「縁起駅」としても有名な駅です。

ここで「雨」はすこし小降りになったので、車内にこもっていた(?)乗客がたくさん下車して来られました。

駅舎にあった「貼り紙」。「世界遺産登録」という「壮大な計画」も見られますね(^^)v


さて、この「真幸駅」についても、毎度おなじみ、
「各駅停車全国歴史散歩46 宮崎県」
(宮崎日日新聞社編 河出書房新社著 昭和59年初版 絶版)
から拾って行きたいと思います。
絶景、矢岳高原からの眺め 真幸
草スキーに力
山また山。下り列車が矢岳第一トンネル(二○九六㍍)を抜けると、あたりがパッと明るくなり、同時に雄大な景観が飛び込んできた。向かいに霧島連山、その下に川内川が緩やかに蛇行。川の両岸に住家が点在し、周囲にえびの米で知られる穀倉地帯が広がる。
ここは矢岳高原。標高七○○㍍。高原からはえびの市内を見下ろす自然パノラマは素晴らしく、遠く桜島まで眺望出来る。わが国の三大車窓展望地のひとつとして折り紙つき。昭和四一年に県立公園指定、広さ六六八㌶。春はワラビ狩り、秋にはなだらかなスロープを生かした草スキーが楽しめ、年間五万人のハイカーが訪れる。
好評の入場券
真幸駅の開業は明治四四年五月一一日で、九三ある宮崎県内の駅(※注釈:昭和59年現在)の中で最も古い。八代(熊本県)と隼人(鹿児島県)を結ぶ肥薩線では唯一の宮崎県の駅。しかも鹿児島県(吉松駅)と熊本県(矢岳駅)にはさまれており三駅連続して県が違うのはきわめて珍しい。
全国でも数が少ないスイッチバック駅である。標高三八○㍍の山の中に、しがみつくように建ち、その勾配は二五㌫。列車がプラットホームに着くと、運転士と車掌が前後入れ替わり、逆戻りを始める。何も知らない乗客は驚いて、慌てて窓から身を乗り出し、あたりを見回す。
真幸の駅をさらに有名にしたのが入場券だ。「真の幸が入る」と読めるので縁起がよい、と昭和五○年ごろから購入申し込みが殺到しはじめ、五七年は約八○○○枚を売り上げた。北海道の「幸福駅」(※注釈:「こうふくえき」。現在は廃止)同様、結婚や入学、卒業記念のプレゼントに使われている。
(後略)
(出典同 P178)
しかし、「一年で入場券約8000枚」というのは、かなりの「収入」だったでしょうね・・・

そんなことを考えつつ、列車はようやく終着の「吉松駅」(鹿児島県姶良郡湧水町)に到着しました。

同乗の「ツアー観光客」たちがどっと下車して来ました。



もう「一仕事終えた感じ」なのですが(笑)「肥薩線」はまだ続きます。
乗り継ぎまで時間があるので、例によって改札を出ます。

「吉松駅」のある「湧水町」は、まだ新しい「町」なのですね。

駅前の「バス停」。「鹿児島県」なので、「南国交通」のものです。

「さて、次のバスは…」
「ええ~一日2、3本しかないじゃん!」
というのは、「太川リーダー」と「蛭子さん」の番組でしたね(笑)
この番組、いつも見てます(^^)v
次回に続きます。
今日はこんなところです。