JR九州 全線完乗への道!その32 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「熊本・宮崎・鹿児島県境」の山岳部を縫うように走る「肥薩(ひさつ)線」の「ハイライト」とも言える区間に入っています。

乗車している「普通 いさぶろう3号 吉松ゆき」は「大畑(おこば)駅」(熊本県人吉市)を発車しました。


発車後、まずは「山岳部をジグザグに登り降りして行くため」の設備、「スイッチバック」用の「転向線(てんこうせん、引き込み線に相当)」に入り、列車の進行方向を変えます。


そして再度発車。
先ほど、「人吉駅」から「大畑駅」に入線してきた線路を左に見て進みます。




車窓は、一見すると「白樺」や「ブナ」林のようです。
確かにここは「南九州」なのですが、まるで「北海道」に居るようですね。


「スイッチバック」の後は、これも「急勾配」の路線をやり過ごす方法として知られている「ループ線」(「山岳部に敷かれた線路を山肌に沿って進行し、勾配を上下する方式)に入ります。

先ほどの「大畑駅」に至る線路が再度、右側に見えます。

ここで、「大畑駅」について、毎度おなじみ、
「各駅停車全国歴史散歩44 熊本県」
(熊本日日新聞社編 河出書房新社著 昭和58年初版 絶版)
より拾ってみたいと思います。

国内最初のループ線 大畑
ループで傾斜克服
 人吉駅から湯前線(※注釈:現在のくま川鉄道)と分岐した肥薩線は、球磨川を渡り、いくつかのトンネルを抜け、しだいに傾斜を強めながら、一路南下し、鹿児島・吉松駅へと向かう。そして横平隧道で同線自体と交差する。国内最初のループ線であり、ループとスイッチバックとが一体となる珍しい形態の”大畑ループ線”である。
大畑駅は大畑ループ線の東側の高原にある。
 大畑と書いて「おこば」と読める人はまずいない。焼き畑(コバ)に由来しているという呼び名だが、珍駅名の中には必ず登場するマニア向けの駅名だ。
 駅の開業はループ線の着工後一○年目の明治四二年一二月二六日。直径約七○○㍍のループにより矢岳駅(標高五三六㍍)との高低差二四○㍍余の克服が図られているが、それでも両駅間は最大斜度一○○○分の三○.三、緩やかなところでも一○○○分の二○.五という肥薩線きっての傾斜が続く(※注釈:「一○○○分の三○.三」とは、「1000メートル進むと、0メートルから30.3メートルの高さまで登る勾配」ということを示す。これは全国的に見ても、勾配が連続する区間としてはかなりの規模)。
 馬力の小さかった蒸気機関車時代、ループを経て矢岳に向かう列車が上り切れずダウン、惰力をつけるために再び大畑へ引き返して来ることも、そう珍しくなかった、という。(後略)
(出典同 P146)


「蒸気機関車」よりかは馬力のある「ディーゼルカー」でも、かなりゆっくりとしたスピードでしか進めないのは、この文章を読んでみると納得ですね。

また、わかりやすい「説明」を見つけました。
この「大畑駅」では、「スイッチバック+ループ線」という、全国的に見てもかなり珍しい構造になっています。
それだけ「勾配のきつい、山越えの難所である」と言うことの証なのでしょう。
 

列車はゆっくりと進みます。
しばらくすると「山の頂上付近」に近づいたようで、ここで少し視界が開けました。


天候が良ければ、このような「雄大な風景」が愉しめる、ということなのですが…


何にも見えません(笑)
まあ、これはこれでいい経験が出来た、ということにしておきたいと思います(^^)v


さて、それを知ってか知らずか(笑)「車内販売」が始まりました。
と言っても、「乗車記念グッズ」と言ったものが中心だったのですが、わたしはこの「バッジ」(@350円)を購入。


そして、隣の「矢岳(やたけ)駅」(熊本県人吉市)に到着。
ここでも、数分間停車するということで「アテンダントさん」の先導にて下車。



先ほどの「大畑駅」と同じように、「筆文字」の「達筆」な「駅名標」です。


「ホームの柱」には、これも「まだまだ現役」ですね、「温度計」がありました。
「3月上旬の南九州」なのですが、気温は「9℃」でした。

標高が高いので、どうりでヒヤッとするはずです(>_<)




こちらの駅舎は、「無人駅化された際のまま」のようです。


「かつて有人駅だった名残」を見つけました。
「国鉄末期」の頃、この「トクトクきっぷのラクダ」を「最寄駅のみどりの窓口」で見た記憶があります。


「時刻表」です。やはり「上下とも1日5本」です。



雨は、やはり止む様子はありません…


さて、この「矢岳駅」についても、さきほどの、
「各駅停車全国歴史散歩44 熊本県」
(熊本日日新聞社編 河出書房新社編 昭和58年初版 絶版)
から拾ってみたいと思います。

駅構内にSL展示場 矢岳
標高五○○㍍の山岳駅
 大畑駅から一○○○分の二五以上の急傾斜を上って来た肥薩線は、ここ矢岳駅で峠を越える。寒風吹きすさぶホームで列車の発着を見ていると面白い。大畑方面から、しきりにアクセルを吹かせている自動車みたいに、ディーゼルのうなり声が聞こえて来て、やがて、屋根から順に車体が見えてくる。かなり煙を上げており、ディーゼルカーにとってもきつい上りであることが分かる。一息ついた列車は、軽やかに宮崎県真幸(まさき)駅へと下って行く。いかにも峠の駅らしい。
 標高五三六㍍のこの駅の開業は明治四二年一一月二一日。肥薩線の熊本県側最南端の駅である。山岳駅の例に漏れず、かつては木材、石炭の積み出しでにぎわった。昭和三○年代の初めごろまでは、地区の人口も一三○世帯余り、八○○人近かった。駅前にはパチンコ店もあった、という。それが今では六○戸余り、二○○人弱へと激減している。当然、駅の利用者も減少、平均乗車人員は前年度が三四人。いま、定期利用者は人吉への通学生が、わずかに三人だけ(※注釈:昭和58年現在)。
 標高が五○○㍍あると、さすがに寒い。人吉市内と比べると、三~四度は低いという。最近は暖冬続きだが、数年前までは、零下一七~一八度に下がることもあり、ポイントが凍り付いて大騒ぎすることもしばしばあったそうだ。

霧島・桜島も遠景
 構内に一○年前、SL展示館が出来た。
(中略)
このデゴイチ(※注釈:「D51形蒸気機関車」)は、やはり一○年前、蒸気機関車が同線から去るまで、馬力の強い頼りになる機関車として、動輪の音を響かせながら、急勾配の肥薩線を走っていた。
(後略)

(出典同 P148)


構内には、その「標高五三六.九米」と記された標識がありました。


なんだか「随分遠いところまで来たなあ」という思いが急に強くなって来たような気がしてきました(>_<)

それはさておき、「各駅停車」の記載にもあった「SL展示館」へ向かってみます。


展示されていたのは、「D51 170」号機。
「SL」は、近くでみるとやはり迫力がありますね。


その横では、地元の方による「農産物」などの販売がありました。
「名物」の「椎茸」ですね。わたしは甘く煮たのが大好きです。


「干し柿」もおいしそうです。


「切り干し大根」の袋詰めもありました。品揃えを見ていますと、やはり「乾物」が有名なのでしょうか。


さて、先ほどの「大畑駅」でみつけたこの「きじ馬」。
この辺りで、昔から親しまれて来た「名物玩具」だそうですが…


一番奥に売られて居ました。
お店の方に尋ねると、やはり「ひとつひとつ手作り」なのだそうです。

「大畑駅」で「かわいらしいなあ」と思ったので、ここですかさず「きじ馬 小(@600円)」を購入。娘のおみやげにしました。



いまは、「我が家のテレビの前」で鎮座しています(^^)v


「形状」もですが、「色彩」がかわいらしいですね。
いいおみやげになりました。


さて、「アテンダントさん」から「もうすぐ発車しますよ~」とお呼びがかかります。
急いで列車に戻ります。

次回に続きます。
今日はこんなところです。