SANZEN-HIROBAを訪ねて その17 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。
再び、「SANZEN-HIROBA」の話題に戻りたいと思います。
 
一部が入れ替えられた「歴代ポスターギャラリー」を拝見しています。
 
今日はこちらから。
 
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上下いずれも「京阪特急」絡みのものですね。
 
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まず上段のものから。
「新型特急8000系の増備進む 年末には特急の2本に1本が8000系になります」
とあります。
「京阪電車80周年」のロゴが左下にあるので、平成2(1990)年のものと思われます。
 
平成元(1989)年10月の「鴨東線」の開業に合わせ、不足する特急車の増備と、
当時6両編成だった「旧・3000系」の7両編成化のため、「8000系特急車」が製造
されました。
 
当初は、「7両1編成」と、「旧・3000系」の7両編成化のための中間車のみの製造
予定でしたが、車内設備の豪華さが人気を博し、当初の予定を変更して「全特急
車両を8000系に統一する」という方針に変更され、「8000系」は次々と増備されて
行った時期のものです
(「旧・3000系」はその後、1編成のみが残され、中間車のうち1両が「ダブルデッカー車」に改造され、「最後のテレビカー」として昨年まで健在でした)。
 
「8000系」の新造に当たっては、製造から経年の浅い「旧・3000系」の電動機器・台車などが「8000系」に流用され、製造コストの削減に大きく寄与したようです。
 
一方、「旧・3000系」の「車体」に関しては、当時「中古クロスシート車」の導入を検討
していた「富山地方鉄道」の目に留まり、先頭車のうち16両が平成2(1990)~5(1993)年にかけて、また、「ダブルデッカー車」1両が平成24(2013)年に譲渡され、現在も活躍しています。
ちなみに、「富山地方鉄道」の軌道幅は「1067mm」(狭軌)で、「京阪電車」の軌道幅である「1435mm」(標準軌)と異なるため、営団地下鉄(現在の東京メトロ)日比谷線の
3000系(「形式が同じ」とは全くの奇遇です)の台車を流用し、後に「乗り心地改善」の目的で「JR485系特急車」の台車に履き替えられています。
 
つまり、「車体」だけが「旧・3000系」のもの、ということになります。
これも、もともとは「旧・3000系」の車体を導入することがすんなり決まっていた訳で
はなく、当時、廃車が始まっていた、かつて京阪間のライバルであった「阪急2800系」の車体を
譲り受け、「通勤用3扉車」に改造されていた同車を「特急時代の2扉車」に復元し、
シートも「クロスシート」にするという話が進んでいたようです。
 
ところが、肝心の「車体」が入手出来ても「シート」の入手が出来ず、手をこまねいて
いたところ、この「旧・3000系」の廃車時期が始まったため、「シートだけを入手する
よりも、『2扉・特急仕様』という状態の車体ごと入手した方が改造の手間が省ける」ということで、「旧・3000系」の譲渡の話がまとまったそうです。
 
かつてのライバル会社の車両が、「第二の人生」においても「ライバル」だったとは
何とも因縁な話です。
 
導入後の「富山地方鉄道」での「旧・3000系」は「10030形」という形式が与えられ、
「旧・3000系」の勇退が報じられた頃、1編成が「京阪特急色」に復元され、さらに
「最後のテレビカー」が廃車になった後には、編成に組み込まれていた「ダブルデッカー車」も追加譲渡され、「ダブルデッカーエキスプレス」と命名され、同社の「看板列車」となっています。
 
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本題の「8000系」の話から逸れましたが、現在は全編成がこのように新塗装化され、また、車内も一部ロングシート化されるなど、「特急の枚方市・樟葉停車」に
伴う、途中停車駅追加による乗客の入れ替え増加に対応した改造がなされています。
 
製造から「20年強」であるため、これからの活躍が期待される「看板車両」です。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。