SANZEN-HIROBAを訪ねて その8 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。
先ほどに引き続き、記事をアップしたいと思います。
 
京阪電車樟葉駅前(大阪府枚方市)の「くずはモール」内にあります、「SANZEN-HIROBA」で期間限定で展示されている、京阪電車所蔵の「秘蔵品コレクション」を拝見しているところです。
 
今回はこちらから。
 
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昭和39(1964)年に登場した「2200系」の車番プレートです。
プラスチック製のようですが、裏面からの「彫り文字」ではなく「書き文字」のようです。
 
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「2200系」は、前回の記事でご紹介しました「2000系」の後継車両で、登場時は3+4両に分割して運用出来るよう組成されていましたが、分割運用されることはあまりなく、一貫して「急行・準急」などの優等列車に充当されることが主でした。
 
昭和59(1984)年からは車体改修工事が始まり、中間運転台の撤去などが施され、現在の姿となりました。
数年前には、8両編成のものが、最優等列車の「K特急」に充当される運用もありましたが、現在は全て7両編成となり、朝ラッシュ時にはこのように「通勤準急」や「準急」に、日中は「普通」に運用されることが主です。
 
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「2200系」にも初期車と後期車でやはり差異がありまして、目につくところでは、先頭車正面の「行先表示器」の横に取り付けられている「尾灯(びとう、最後尾車両として運用される場合には赤いランプが灯される)」が「ガイコツ型」と言われる、古めかしいタイプのものが「初期車」のものです。
 
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ちなみに、こちらがその現物です。
 
「2200系」も製造から老朽化が進んでいるため、経年廃車が進んでおり、最新形通勤車「13000系」の登場で今後の去就が注目される形式でもあります。
 
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続いては「5000系」です。
 
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「5000系」は、高度経済成長で激増する乗客に種々対策が講じられるも、なかなか効果が追い付かないという頃、昭和45(1970)年に登場した車両です。
「5扉車」として、ある種「京阪電車」を代表する車両として知られています。
 
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昼間・閑散時には「第2・4扉」を閉鎖、朝ラッシュ時には全ての扉を使用し、その部分の座席を天井に収納するという、当時としては画期的な車両でした。
ラッシュ時のみ使用する「第2・4扉」には、「ラッシュ用ドア」と称し、このプレートが取り付けられていました(「座席昇降式」の装置は「世界初」のもので、京阪は特許を取得しているそうです)。
 
「2000系」の項でも述べましたが、当時のラッシュは今と比べて相当なものだったようで、「各駅で積み残しが続出する」、「詰め込まれた乗客の横圧で車両のガラスが割れる」、「遅延が毎日のように発生する」、といったこともしょっちゅうだったと言います。
この「5000系」は、登場後直ちに京阪本線で最も混雑する「区間急行・普通」に充当され、「5扉」という特性を活かし、乗客のスムーズな乗降に大きな威力を発揮したそうです。
 
現在のラッシュ時にも、混雑する種別(主に「通勤準急、区間急行、普通」)にはこの形式が優先的に充当され、専用の運用となっているものもあります。
ただし、車両検査の際などには代替の「3扉車」が代用されるため、やはりというか、
多少の遅延が生じるようです。
当時のラッシュ時とは事情は異なるのでしょうが、それほど、この形式の及ぼす威力が大きいということなんでしょうか。
 
今日はこんなところです。